にらレバ編集長は語る。

韮崎の人

はじめまして。

にらレバ編集長、窪田いくみです。
毎回いろいろなところに取材に行って記事を書かせてもらっていますが、
今回は少し自分自身のことを振り返って記事を書いてみようと思います。
このメディアでは顔の見える関係性をつくっていきたいと思っているので、そのために、まずは自分がどんな人物で、なぜ「にらレバ」を始めたのか、みなさんに知ってもらいたいと思いました。

編集部4人の想いはこちらの記事で書かせてもらっているので、二本あわせて読んでみてもらえると嬉しいです。

韮崎との出会い

▲韮崎高校時代、学園祭でバンドをしたメンバー

私の生まれは山梨県中央市です。高校生になるときに北杜市に実家を建てたので、そこから通いやすい韮崎高校を受験したのが韮崎市との出会いでした。韮高には同じ中学出身の子が一人もいなくて寂しいスタートでしたが、すぐにたくさんの友だちができました。
ギター部と写真部に入り、イヤホンから流れてくる音楽に韮崎の風景を重ねながらバスに揺られ通学した日々。カメラを持って錆びたフェンスとか空と道とか、何でもないような風景を撮って歩いたりしていました。ロックやパンクが好きだったので反骨精神は持って(持ちたがって)いましたが、そんな私の思いとは裏腹にこのまちは平和そのもので、特に抗う必要もないままうっかりと平穏で楽しい日々を過ごしていました。

東京での暮らし

多くの韮崎の若者がそうであるように、私も東京での暮らしに憧れていたので、あるとき転職を機に向こうで暮らし始めました。
東京タワーのすぐそばの会社で働き、毎日満員電車に揺られること40分。
駅から徒歩15分弱のワンルームの家賃は6万8千円でした。
喫茶店や美術館に寄ってから帰ったり好きなバンドのライブや憧れの建築を見に行ったりする日々は一見充実していましたが、どこかにずっと寂しさがありました。東京は人さえも消費の対象になっているような気がしたのです。人が多くていくらでも代わりが利くから、別に自分じゃなくてもいいのではないかと事あるごとに感じるあの虚しさは、山梨では感じたことのない感情でした。
悶々としていた私に、ある日一本の電話がかかってきました。

韮崎との再会

「中高生のための施設をつくるから、東京での仕事を辞めて韮崎で一緒に働かないか」という電話をくれたのは、Miacisの施設長であり、現在にらレバも一緒に進めている西田くんでした。彼は韮高の同級生で(在学中は会話0でしたが…)、大学生の頃からその活躍っぷりを見て尊敬していたので、これはやらないと後悔するだろうと直感的に思いました。
そこからNPOの理事さんたちに会ったり会議に参加させてもらったりして、韮崎市の大人たちの子どもたちのために考えて行動するパワーに圧倒され続けました。高校生のときには、こんなに地域の大人が自分たちのことを考えてくれているとは思ってもみなかったので、素直に感動してしまいました。

そして「地元に帰るなんて逃げだ!」と上司に罵られながらも東京の会社を辞め、韮崎に移り住み、
2016年4月から韮崎市の地域おこし協力隊として、NPO法人河原部社と一緒に青少年育成プラザMiacis(ミアキス)の立ち上げに取り組みました。

青少年育成プラザMiacis

▲青少年育成プラザMiacis

にらレバを始めた理由として欠かすことのできないのがミアキスの存在。
施設の詳しい紹介は別の記事で改めてさせてもらおうと思いますが、
2016年10月に無事にミアキスをOPENしてから、多くの中高生に出会ってきました。

そんな中高生たちが大学生になり、私のように就職や転職などで迷ったときに、地元の情報を知ったり温かさを感じたりすることのできるメディアがあったらいいなと思ったのです。

韮崎の多くの子は高校卒業後、都内の大学に進学してそのまま向こうで就職します。
けれど、きっと私のようにきっかけや情報さえあれば地元に戻るのもいいなと感じる人もたくさんいると思うのです。
だけどそのきっかけや情報に出会える手段がほとんどなく、一度離れてしまった地元が歓迎してくれるのかもよくわからないという状態では、なかなか帰ってくるという選択肢に結びつかないのではないかと思います。

にらレバがあることで地元とゆるく繋がっておきながら、
それぞれが自分なりの地元との関わり方を見つけていってもらえたらと思います。
そして悩んだときや、何か面白いことをしてみたいというときに、
気軽に声をかけてもらえるような存在のメディアをつくっていきたいです。

文章を書くこと

 

地域おこし協力隊という総務省の制度には3年間という期限があります。3年目を迎えるにあたり、お世話になっている韮崎のまちのために私ができる事はなんだろうとずっと考えていました。
そして辿り着いたのは、「文章でまちの人の想いを伝えていくこと」でした。
昔から人の話を聞くことと文章を書くことが好きで、自分が感動したり心揺さぶられる物事に出会うと、「伝えたい欲」がどんどん湧いてきて書かずにはいられないタイプでした。話をするのが苦手な分、文章に助けられてきたという部分もあったと思います。

私が伝えていきたいのは物事の概要ではなく、そこに込められた想いやストーリー、そして空気感です。
まだまだ文章力も表現力も足りませんが、このβ版で記事を書き続けて力をつけていきたいと思っています。
東京に出たい若者の気持ちもわかり、実際に東京に出た経験もあり、そしてまた韮崎に戻ってきて日々色々なことを感じている。そんな若者目線で記事を書いたりメディアをまとめていくことが今の自分の役目のような気がしています。

まちのみんなでつくっていきたい

そしてこのメディアは私や編集部だけではなく、まちのみんなでつくっていくメディアにしていきたいと思っています。つくる側の想いにまちの人の想いが重なって、メディアに温かみが増していくのだと思うからです。きっと多くの人に関わってもらえれば、様々な角度から見た韮崎の姿が集まります。その分様々な人の心に響く可能性が広がっていくのだと思います。読者でもあり情報の発信者でもあるという人が増えていけば、楽しいまちになる予感がします。

私自身、地域の方に声をかけてもらって励まされたことがこれまで何度もありました。夜な夜な子どもたちの未来のために語り合う大人たちの姿にグッときたことも何度もあります。そんなまちの人の温かさをしっかりと届けていきたいし、編集部トークで話しているような、このまちのポテンシャルについても提案していきたいと思っています。

そしてこのまちにもっと若者が増えて、まちのひとと一緒に何か面白いことができたらいいなぁと妄想しながらメディアづくりをしていきます。どうぞ温かく見守っていてください。そして、たまに助けてください。笑
これから「にらレバ」をどうぞよろしくお願いします。