【寄稿】サンマ祭りにみる、韮崎の隅の小さな町「穴山」の底力

寄稿

やはりサンマは“山”に限る?

今年の秋はサンマの漁獲量が上向きだと云う。

昨年は大変な不漁だったと記憶しているから、今年は昨年よりも素敵な食欲の秋を迎えられそうでほっとしている。

皆さんは今秋のサンマを既に召し上がっただろうか?

去る10月2週目の土曜日、韮崎市穴山町で大量の焼サンマがふるまわれた。

サンマの水揚げが盛んな港町でもなければ、目黒でもない。

海なし県韮崎市穴山町である。

2012年に始まった「穴山町サンマ祭り」であるが、年々来場者は増加し、今年はふるまわれた焼サンマ定食は500食。

持ち帰りも含めて1300尾あったサンマと関連水産加工品は塵も残さず売り切れた。

なぜ穴山でサンマなのだろう?なぜそれほどの盛り上がりを見せているのだろうか?

疑問は尽きないことと思われる。

サンマを運んできた男

ここで簡単にこの記事を書いている僕の自己紹介をさせていただきたい。

この記事を書いている僕、清水元気は幼少期から高校を卒業するまで穴山で過ごした。

その後大学進学を機に上京し、現在は都内で働くサラリーマンである。

それだけだ。

紙面に起こして、映えるような経歴では決してない。

もしかしたら甲府駅前で無作為に呼び掛けた通行人の方が、まだ面白い身の上話を聞かせてくれるかもしれない。

ではそんな人物に記事の執筆を委託した、にらレバ編集部の迷采配なのかというと、そういう訳でもない。

これはこれで理由がある。

「穴山町サンマ祭り」の仕掛け人は僕の父なのだ。

僕の父、清水俊弘は国際人道支援に取り組むNGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」の副代表理事を務めており、穴山と東京を往復する日々を送っている。

そのJVCは、アジア・アフリカを主とした途上国支援を中心に活動する傍ら、東日本大震災の被災地となった気仙沼でも支援活動を続けている。

ここで穴山とサンマに細い線が繋がり、上の疑問にお答えすることができる。

「穴山町サンマ祭り」とは、気仙沼で水揚げされたサンマを通じて、被災地の今に、遠く山梨から想いを馳せる応援企画なのだ。

山梨は10万人当たりの寿司屋の数が全国一なのだそうだ。

海がないのに意外な事実だと思う一方、海とは疎遠な地域だからこそ、海産物に対する憧れが根強いのも頷けるし、この年になっても視界が開けて海を目の当たりにすると喜んでしまうのは僕だけじゃないはずだ。

秋の味覚、海方の代表であるサンマをピースメッセンジャーに起用した企画は、そんな山梨だからこそ活きるものだと思う。

そんな祭りが上手くいかないはずがないのだ。

ただ、そうした理念的なことは、他の媒体記事を見てもらえれば良い。

ネットで「穴山サンマ」とでも検索してもらえれば、確実にリーチできるだろうし、僕の文章よりも端的に祭りの様子を伝えてくれるだろう。

今回僕が話したいのは、祭りの内側にいる町民や関係者の在り方についてだ。

硬質な企画書や外部のレポートからは見えてこない、この祭りや穴山の本当の面白さはそこにあると思っている。

町民の町民による町民のための

僕は今年の参加が、2年ぶり3回目である。

与えられる役割は決まっていて、協賛となっている実家のカフェ「おちゃのじかん」の出店ブースの売り子だ。

サンマ祭りは二部構成となっている。

第一部ではJVCの気仙沼復興支援の報告会が実施され、第二部に入ると、町民からなる実行委員会が来場者に焼サンマの定食をふるまう。(尚、この定食が700円と大変リーズナブルなのだ。)

物販コーナーは第二部に合わせて開始となるため、僕自身は11時の少し前に会場の旧穴山小体育館の壁際での設営を終え、来場者を待つことになる。

壁際に佇み会場を眺めていると、色んな人たちが、それぞれの立ち位置で祭りに参加している様子を窺える。

先ず会場に向かう途中、外で目を引くのが、イベントのメインディッシュとなるサンマの焼き場だ。

もうもうと香ばしい白煙を巻き上げながら、地元の男衆がサンマを網に並べ焼き続けている。

(ちなみに今年は会場の換気に難があり、会場中がこの煙に包まれる事態となった。今年の祭りの様子を既に何かで拝見した方は、ぼやけた映像が多いことにお気づきかと思う。)

その姿はまるで、普段は料理を全くしないのにBBQになると急にこだわりを語り出し、仕切りだすお父さんだ。

年々熱が高まっており、今年も更に磨きがかかって、皆さんすっかり職人の面構えであった。

その夜父から聞いた話では、来年は炭づくりから始めたいという声も上がったという。

ここまできたらいっそ焼サンマの道で大成してほしい。

焼き場を横切り、会場入り口脇では大鍋で味噌汁の準備が進む。

ここでは地元の奥さまたちが中心となり、具だくさんの味噌汁が用意された。

この滋味あふれる感じが定食に嬉しい。

会場内に入れば、チケットの販売・受付から配ぜん、片付けまで、きれいに役割分担がされており、運営の体をなしている。

ただし、そこで切り盛りしているのはどうも地元で見知った顔ばかりだ。

そこに山があるように、動機は全て目の前にある

ここまで書いてきたように、この祭りはほぼ地元の人たちが作り上げ、(学生ボランティアなど、サポートも得ながら)ほぼ自分たちで完結させてしまっている。

バックに怪しいコンサルタントもいないし、なんだったら地場の特産物だってない。

僕がこの祭りを素敵だなと感じるのは、地元の人たちが自分たちのために、自分たちで作り、それでいて外の人たちも拒まないところだ。

「たまたまやってみた試みが楽しくて、毎年色々な工夫を凝らして続けています。もし興味あれば皆様もどうぞ」という具合に、実に肩の力を抜いたやわらかさがある。

そこでは、こうしたらもっと儲かる、とか、こうした方が注目される、なんていうことは二の次だ。

シンプルに「やりたいから、楽しいから、やる」が先に立っている。

イベントとして変なしがらみも雑味もない。

だから、楽しければわりとなんでもすんなり受け入れられてしまう。

毎年地元福祉施設の入所者による和太鼓演奏があるのだが、今年は演奏が終わってしまうと会場が無音となってしまった。

そこで父が「BGMがないと寂しいな・・・。」とつぶやいた。

少し嫌な予感がしたが、案の定数分後、勝手に知人のサックス奏者と会場内で演奏し始めてしまった。
(ある程度の予定調和はあるのだろうけれど。)

息子としてはあまり居心地の良くないシチュエーションである。

それでも会場は、そんなアドリブにもすんなり順応し、最後の方では一部からアンコールまで送られ余興を楽しんでいた。

そんな「やりたいからやる」という穴山町民のスタンスは、サンマ祭りに限ったことではない。

4月に行われるさくら祭りでも地区対抗の仮装大会に向けて各区やけに凝った仮装を仕込んでくるし、野菜の生育などについて相談すれば、当の本人よりもマメに様子を見に行ってしまうおじちゃんもいる。

人がおき、町がおこる

時折無性にどこかへ出かけたくなり旅に出ることがある。そんな時に自分なりに距離を置いているのが、観光客でごった返すようないわゆる観光地然とした場所だ。

僕は辿り着いた街の中を散策しながら、そこで暮らす人々の生活に思いを巡らせるのが好きだ。

その土地とどのように向き合ってきたのか、どのように今の在り方に対して折り合いをつけているのか。

人それぞれに違う結論を抱えて生きているし、そうした個々人の意思の集合体として街独自のカラーが生まれると思っている。

観光地は、そういった個々の意識を越えて、ある強烈なアイコンによって、そこに住む人たちの生き方をがんじがらめにしてしまうことがある。
(わかりやすいのは観光名所周辺の土産物通りだ。何も全てが悪いという訳ではないのだけれど。)

「町おこし」というキーワードが語られる時、たいていはその町ならではの特産物、名所を掘り起こし、それを中心にストーリーが描かれることになる。

確かに、地場にお金が回る仕組みは当然必要なものだ。

けれど、そんなセオリーも、そこに住む人々の生活を外から振り回すような形になるのでは元も子もない。

先立つ条件として、「住んでいる人たちが在りたいと願った結果としてそうであること」は非常に大切なことだと思う。

そう考えたとき、地元のものに縛られるのではなく、外のものでも上手く取り入れて自分たちが楽しむ、そんなサンマ祭りの中に見える穴山の姿は、純粋に住んでいる人たちが元気であることの証拠だと思う。

一人一人の人間として、自分たちが出来ること、やりたいことに正直に向き合っている。

そんな町なら、遅かれ早かれ、外からでも光ってみえる魅力は自ずと生まれると僕は思っている。

そういった町の興りを外から遠巻きに眺めているのはやっぱり寂しい。できることなら、自ら穴山の盛り上がりに一役買って出たいところだ。

だが正直、資本主義構造の下層で理論武装ばかりを鍛えた現時点の僕では、父のようにみんなを巻き込んで何かを作り上げるには魅力もエネルギーも足りていないことは確かだ。

何もできないまま帰ってくるのは、それはそれで悔しい。

だから今は、韮崎との接点を保ちながら、虎視眈眈と東京で爪を研いでいる。

このサンマ祭りには、子供のように素直な遊び心を忘れない穴山を象徴するイベントで在り続けてほしい。

そんなささやかな元町民の想いを踏まえて、来年の秋には美味しいサンマを食しに穴山を訪れてみてはどうか。

僕が相も変わらずひっそりと売り子をやっているか、もっと輪の中にいるのかは自ずと明らかになるはずだ。