リレー記事Vol.002『クヌギマサハルと韮崎と未来』

ーProfileー
【略歴】
韮崎市神山町出身
2001年 韮崎高校卒業(2000年度卒業生)
2006年 私立獨協大学外国語学部卒

〜10年間、都心のベンチャー企業に従事

2017年 株式会社8Lab創業 代表取締役
2018年〜 甘利山グリーンロッジ管理委託、にらレバ立上げ

はじめまして、クヌギマサハルです。

    

はじめまして、株式会社8Lab(エイトラボ)代表取締役の功力昌治です。

韮崎で高校卒業まで暮らし、大学進学と共に上京→その後はずっと東京で暮らし、そして今は東京と韮崎を行ったり来たりする2拠点生活をしています。

「2020年代以降、日本は、世界は、韮崎はどんな時代を迎えるだろうか?」

「2040年に韮崎はどんな姿になっているだろか?」

「その時、自分は何をしているだろうか?(何をしたいか?何をするべきか?)」

ここ数年、そんなことをよく考えます。

今回はせっかく機会をいただいたので、自分なりの考えをお伝えできればなと思っています。

これまで :8Lab&代表功力は何をしてきたのか?

僕は韮崎高校〜県外の大学卒業後、人材系ベンチャー企業でバリバリと働き、経営者向けに採用コンサルティングや人材紹介をしていました。

その後はインターネット系企業に転職し、朝から晩までモーレツに働き、「20代でしっかり力をつける」という目標に邁進していました。

30代に入ると海外事業も手がける企業の社長のすぐそばで働く機会をいただき、起業家・経営者という存在にますます尊敬や共感を覚えました。

海外事業でイスラム教徒向けのサービス創ってた頃

2016年に、「1社で力を使うのもいいけど、広く社会で使いたいな」と考えて、フリーランスとして独立。合計20社近くの若いベンチャー企業に企画やマーケティングのコンサルティングを実施してきました。

家庭では、結婚〜息子が誕生。

奥さんが忙しい時は、奥さん休ませつつエイトとパパで男二人旅します。

息子の瑛人(エイト。8Labの社名の由来の1つでもあります)と一緒に韮崎に何度か帰省するうちに、愛着が復活し、

「20代で力をつけ、都心と韮崎を行き来できる出身者だからこそ出来ることがあるのでは?」

と自問自答し、翌年2017年には8Lab(エイトラボ)を創業、2018年から本格的に事業活動を開始しました。

 

創業時の模索段階は、東京の友人と一緒に梨北の酪農家さんを訪問してみたり。

初仕事は「教育」×「エンタメ」ということで、Miacisプロジェクト合宿でした。

8Labは「結ぶ、つなぐことで生む」をコンセプトとして、活動を行っています。

出身である韮崎市と家族が住む都心とを行き来して、2拠点活動だからこそできる事を日々考え、手がけています。

 

その1つが、いまみなさんが読んでいるにらレバであり、自分のような韮崎出身者で市外に住んでいる方へ情報を届け接点をつくること。

また、ほかには、甘利山グリーンロッジの委託管理を韮崎市よりお任せいただき、特に県外から訪れる方々への利用促進を担っています。

甘利山グリーンロッジの夜

にらレバメンバーでも合宿しました

Rodge URL: https://www.8lab-rodge.com/

また、最近では、韮崎の地域内でも、様々な立場や考え方、年代の方とお会いしながら、似た考えやビジョンの方を引き合わせて一緒に活動を提案するといった事も意識しています。

なぜやるのか? 未来図と8Lab流アプローチ

なぜ8Labを創業し、にらレバや甘利山グリーンロッジを手がけているのか?

そこには僕が考える未来図と関係があります。

 

これからの時代、避けられない人口減少や少子高齢化、必ずしも成長するとは言えない経済を前提にして、地域活性のために様々な取り組みが求められるように思います。

 

僕は8Lab創業前後で、たくさんの地域を見て回りました。

観光地に行ったわけでも、食い倒れしたわけでもなく(呑み倒れはたまにしました笑)、地域の若手リーダーに会いお話を聞かせてもらい、その光景を見るためでした。

四国のある1万人に満たない町では、多くの若手移住者がそこかしこにいて、新しい事業や商いを始めていました。

さらに小さな規模の町では「交流と協働」をテーマに掲げ、観光で来た方と積極的に交流し、イベントなどに楽しく巻き込み(自分も巻き込まれたのですが楽しかったです笑)、いつのまにか協働してしまう。

地元の方と町外の若手が一緒になってまちづくりをする光景を素敵だなと思いました。

 

僕は「こういう姿は韮崎でも実現できるだろう」と感じました。

  • 人口が多い首都圏との距離感
  • まちづくりについての余白(余白=まだまだやれることがある”可能性”)
  • 合併を長く経験してないが故にまとまりがある
  • Miacisのように若者にしっかり投資する姿勢がある

Etc..

そんな光景や韮崎の可能性を考えたときに、「Uターン」や「関係人口」というキーワードが浮かびました。

 

Uターンは言わずもがなですが、関係人口とはその街に住民票があるわけではないけど定期的に通ったり仕事を持つことで「関係してくれる」人のことをいいます。

「縁がない街に移住を決める」というのは簡単ではありません。

それに比べUターンは意思決定のハードルが低いと言われます。

また僕のように家族の事情により、「移住でなく通うこと=2拠点生活」を選びたい人もいます。

 

そのような人たちに対してのアプローチをすることが、韮崎の限りある資源(特に”人”)を最大限に活かしつつ、活性化させる方法の1つではないかと考えたのです。

2020年代のキーワードで活動を展開

 

先程のグラフのような状態を生み出すため、8Labでは「観光」「働き方」「生き方」という領域に着目。

いま世の中、特に首都圏では、働き方や生き方について考える書籍やセミナーが溢れています。

人生100年時代と言われるほど寿命が伸びる一方で、社会保障、変化の激しい時代への不安。

「東京で働き続けていれば安心」という時代も終わるかもしれません。

日々の満員電車やスピードが上がり続ける仕事環境などに、メンタル疾患を持ってしまう人も増え続けています。

2拠点生活をしている僕には、「東京を出たい」と考える若者が話を聞きたいと連絡してきます。その中には韮崎出身・山梨出身の若い子たちも。彼らは「チャンスがあれば韮崎に戻りたい」と言っています。

でもなぜ戻れないのか? それを考えた時に、

「韮崎で就きたい仕事がないと思っているのだ」

「韮崎に仲間や友人ができそうにないと不安なのだ」

「そもそも韮崎の”今”や”これから”を知る術がないのだ」

という事実にいきつきました。

その上で「何をやるか?」を1人の経営者として自問自答した時に、

「若者が就きたいと思う面白い仕事を創出すること」

「韮崎の魅力的な人やコミュニティを伝えること」

「まずは観光のような気持ちで来てもらい、人間関係をつくれるようにすること」

が良いのでは?と考えました。

 

そのような活動を総称するものとして、「Re:Hoku」というプロジェクトも準備中です。

これは、僕が大好きな梨北(韮崎と北杜)を舞台にして、たくさんの”Re”を生み出していくもの。

地域内のリーダーや団体とどんどん連携していければと思い、韮崎に滞在中は面談や打ち合わせをたくさん入れて、インタビューや意見交換をしています。

そんなみなさんとプロジェクトやサービス、受け皿をつくっていきたいなと思っています。

 

そうやって地域を盛り上げながら、首都圏に住む出身者や韮崎ファンが観光をきっかけに働き方や生き方を考えるようになったら、「ぜひ梨北や韮崎に戻ってきませんか?2拠点しませんか?」と提案したいのです。

 

いま8Labの活動には、地元の農家さんやUターンしてきた若者、移住してきた若者が少しずつ賛同して協力してくれています。

8Lab、功力は、このような方々との連携を結んでいき、まさに結ぶことで生み出していきたいと思います。

2030年代〜韮崎モデルを世の中に発信、循環させたい。

僕らが手がけるRe:Hokuプロジェクト、にらレバでの出身者向け情報発信などでUターンや関係人口を増やすことは、どこか他の自治体と競合・競争するようなものではありません。僕はそこに魅力を感じています。

 

各自治体が、それぞれの出身者向けに情報発信し、Uターンを促進すること。

関係人口のように移住を前提とせず、関わりたい時に関われる仕組みをつくること。

 

僕はこのモデルを韮崎でしっかりつくり、1つの活性化モデルとして全国に輸出できたらなと思っています。

全国で社会課題が増える未来において、韮崎のためのみならず、全国で同様のモデルを活用することで課題解決や活性化につながることを想像しています。

出身者、2拠点、そして起業家として。

8Lab、そして僕のチャレンジはまだ始まったばかり。

グリーンロッジからの朝焼け

出身者としての誇りや情愛を胸に秘め韮崎でもっと深く活動しつつ、一方で、2拠点活動、広く動ける立場をいかしながら首都圏や日本全国で活動し、学び、韮崎に持ち込んだり発信する存在であろう。

そのために、チャレンジを恐れない、変化を恐れないマインドでい続けよう。

これからも動き回りながら、ワクワクする未来図をつくっていけたらと思います。

 

「もし興味があれば、ご一緒してみレバ?」(無理矢理感・・)

 

さて次回は、にらレバを共に立ち上げるにあたり声をかけた「岡ちゃん」こと岡田拓也くんにバトンを回します。

僕の2拠点どころじゃない、◯拠点(◯に何が入るかは次回のお楽しみで笑)での活動を行う岡ちゃんの記事を楽しみにしていてくださいね。