はじめまして。加藤未来です。
中央市生まれ韮崎市在住。山梨県立大学に進学し教育や福祉を学びながら、青少年育成プラザMiacisでのインターン、福島在住の親子を対象とした保養キャンプの企画運営、大学生向けのイベントの企画、一人旅などをしてきました。
そんな私も4年生。「就活生」と呼ばれる時期がやってきて、進路も決めて、自分の人生を大人として切り開いていく時期がやってきました。
韮崎という新しい土地で暮らし始めて2か月が経った今、自分の暮らす町というものをどう捉え、どのように関わっていくのか。そんなことも考えてみたりしています。
今回リレー記事を書くにあたり、韮崎に関わってきて感じていること、世代のこと、そして街のことを、気持ちの赴くままに書いてみようと思います。
新しい時代の訪れ
時代は「令和」になった。
「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」との願いで決定されたらしい。
少し前までは一つ年を取るたびに、新しい年が来るたびに、何か変わらなくてはいけないような、そんな義務感みたいなものを感じて、目標を立ててみたり、やりたいことを書きだしたりしていた。
それが、最近になって、何歳になるから。とか、新年を迎えるから。とか、新元号が始まるから。とか、そういったものを区切りにいろんなことを考えなくなってきて、むしろあまり影響されたくないとすら思うようになった。
目標ややりたいことを決めていたころ、なぜかいつもその1年が終わるまでの間になりたい自分とか、やりたいことは変わっていて。そんなことを繰り返す中で、何かを決めて目指すことも大切だけど、目指すものすらも変わってしまうような、そんな日々を送ることのほうがもっと尊いことのように感じられるようになった。
価値観を広げてくれた人の存在
そんな日々と共にあったのは「尊敬できる人」の存在と「感じることを大切にできる環境」だった気がする。
大学に進学したころの私は今となってみれば、なにをそんなにと自分でも不思議になるくらいにとにかく全力で、何かを欲していた。
そんな中でたくさんのかっこいい先輩に出会った。こんな人になりたいと思わせてくれる人に出会えた。そんな先輩たちが与えてくれたきっかけの中で私は2年生になるときにNPO法人で働くという選択をした。Miacisの運営を行うNPO法人河原部社だ。それが私の韮崎との関わりのきっかけだった。
そこではたくさんのかっこいい大人と出会った。枠にとらわれずいつも自由に自分の道を行く大人たちだった。その人たちは誰かに何かを強制したりはしないけど、いつも姿で見せてくれて、後輩の私や中高生のことをこっそり見守って応援してくれるような人たちだった。
そんな人たちと過ごす日々はものすごく刺激的で、にらレバに登場する人たちがこれまでも何度も言っているけれどMiacisという場所の価値と、可能性は本当に計り知れないものだと思っている。
そんな人たちとの出会いに加えて私の日々の暮らしに欠かせないものが「感じることを大切にできる環境」だと思っている。
「意味ではないもの」を味わうという感覚
本を読んでいる中で出会ってから、なんかいいな、大切にしたいなと思っているのが「意味ではないもの」という考え方だ。
(以下引用)
頬に当たる風が、意味ではないように、海に入って浮かぶことや、雪の上を転がること、絵筆で面の上に痕跡を残すことも、本当は「意味ではないもの」に触れる行為です。でも、それらを水泳やスキーや絵画といった意味として理解した途端、わかりやすく楽しめるようにはなるけれど、それによって気づけなくなってしまうものも同時に生じてしまっているような気もします。
意味がすべてであれば、私たちは、この世界のどんなことでもわかることができるという事です。でも、世界は意味だけではできていない。だから、簡単には理解できず、理解できないからこそ、それをあじわうことを簡単にはやめられないのです。
『世界をきちんとあじわうための本 山崎剛』
そんな「意味ではないもの」を意味としてではなく、感じることのできる環境にいたいし、そんな自分でありたいと思っている。
そんな環境ってどんな環境なのか、はっきりは自分でもわからないけれど、やっぱり自然が豊かで、ゆとりとか余白みたいなものがある環境なのかななんてことは感じている。
ゆとり世代就活生の本音
最初にも少し触れたのだけれど、私は今「就活生」だ。
就活をするとき判断基準になるものはたくさんあるだろう。業界、職種、年収、福利厚生、会社の文化や雰囲気、そして暮らす場所。そんなたくさんの要素の中から自分にとって大切なものを見極めて、何かを選択するという事は想像していたよりも難しい。
「尊敬できる人」の存在と「感じることを大切にできる環境」、ゆとり、余白なんて言っているけれど、どこに行って何を選択したらそれらと共に生きていくことができるのか。そもそも自分にとって大切なものは本当にそれなのか。
考え始めたらきりがない。こんな難題をすらすらと解いている(ように見える)んだから世の中の「就活生」はすごいと思う。というか、これまでに自分の職業を、働く場所を選択してきた大人たちはみんなすごい。
私はこんな難題を目の前にしながら日々を生きている。
1年後の自分が何をしているかなんて見当もつかない。でもそこに焦りみたいなものはあまりなくて、何をしているにしても自分はきっと笑顔で幸せそうにやっているんだろうななんてのんきなことを考えている。
これだからゆとりはなんて言われてしまうのだろうか。でもゆとりも悪くない。人生にゆとりをもって生きていきたいものだ。
韮崎という町で暮らし始めて
先のことはわからないけれど、目の前の日々は進んでいて。
最近、「尊敬できる人」と過ごすという事と「感じることを大切にできる環境」を暮らしの中で実現することのできる韮崎でのシェアハウス暮らしを始めた。
始めはインターン先があるから来ていた町が、いつの間にか会いたい人がいる町になって、いつの間にか暮らす町になっていた。
これまで生まれた場所で当たり前のように暮らしてきた私には暮らす街を自分で選ぶという感覚があまりなかったのだけれど、関係性の中で住み始めた韮崎という町は案外心地よい。
きれいな山々を毎日眺めては「生きているな」と実感する。ほかの町と比べてどうかなんてことは未熟者の私にはまだわからない。きっと世界中の町と比べたら韮崎より自然が豊かだったり、便利だったり、心地よいと思う町があるのだろう。
それでも今、私の住み始めたこの町を私は結構気に入っている。
自分の意思とは無関係にやってきた、令和という新しい時代だけれど、そんな時代を作るのはきっと私たちだ。
何が起こるかわからない、そんな不安定さも可能性も抱えた時代を、その時代に生きる私たちを、存分に感じて生きていきたいと思う。