abe椅子店の阿部です。
なぜかニラサキに流れついた
前半は韮崎市中央商店街の空き店舗に店をオープンするまでのお話。
自分にできることを探していた
私のふるさとは群馬県の玉村町。だだっ広い二毛作の平野。北は赤城山のある方角で、冬にからっ風を吹き下ろす。大学は東京へ。20代はサラリーマンではない道を模索。
30にして木工の道を志し、高崎の技術専門校で基礎を学び、同期の仲間と工房をシェアして創作活動をはじめました。
工房と家を探す
家具作りをはじめて10年程たち、娘の小学校入学前に新居兼工房となる物件を探すことに。2010年の年明けからです。条件は格安であること、木工作業ができる環境(音の問題)であること。候補地は活動の拠点である群馬県か、妻のふるさと山梨県のどちらか。
条件に見合う物件は、あきらめかけていた時に偶然見つけた韮崎市空き家バンクの物件ただ1つ。家族みんなで見学。
未舗装の小径を登って行くと大きなコナラの木が枝を広げて立っていて、その横に小さい家が建っていた。土地は広く工房を建てれば作業は出来そうだ。南アルプスはもちろん、富士山も見えた。福寿草が咲いていた。
2010年11月、私たち家族5人は韮崎市穴山の地に漂流せずに流れつくことができました。運が良かったの一言です。
1年間の準備期間を経て、ひっそりと小さいけど念願の工房を開くことに。
韮崎に家具をつくる人がいることを知ってもらいたい
群馬では個展や県内外のクラフトフェアなどに出店することが広報活動も兼ねていました。ちょうど地方でクラフトフェアが盛り上がりを見せかけてきた頃。
工房は開いたものの山梨での知名度はゼロ。山梨でどのような広報活動をしようかなあと考えました。つくったモノを手元に置いていても誰にも伝わらない。
商店街の空き店舗助成制度なるものがある事を知った。空き店舗を見に行った。新しい試みをやってみよう、無謀だが倉庫を借りるくらいの感じならいいか。DIYで改装しよう。
そんな風にテンポよく進み、2015年7月韮崎市中央町商店街にabe椅子店Open。
私と木工と仕事
後半は木工と仕事にまつわるお話。
木工作家とは何者?
いわゆる木工房で家具を作る人。オリジナル家具、注文家具。なにかで目にした数字ですが、木工作家として確立している人は500人に1人。誰でもなれるけど経済的な事を考えると厳しい世界です。
専門校で基礎を学び、木工の会社などで働いた後、独立する人が多い。資格を取得する事で技術職として確立している国もあります。日本は何も保障がありませんが自由です。
私と椅子
木工を始めてすぐに椅子にハマったから、続けてこられた。当初ほとんど知識のなかった椅子の世界。デンマークの木の椅子。フィンユールの曲線にしびれた。彫刻だ。そういえば、昔訪れたバルセロナのガウディー建築の有機的なフォルムは1日見ていられたっけなぁ。フィンユールやガウディの作品のような椅子がつくりたい。試行錯誤の連続。完成したら改良点を見つけ原図を書き直した。
現行のアームチェアはその作業(リデザインと言う)を15年程繰り返している。木工を続ける私のモチベーションだ。
しっかり伝える
作れば売れる時代は終わりました。今後再びそのような時代が訪れることもないでしょう。
しかし、家具はなくならない。供給先の見極めも必要だが、案外近くに探している人がいるかもしれない。アピールが足りていないのではないか?説明と提案が足りないのではないか?意図が伝わってはじめて手に取ってもらえるのかもしれない。それも私の仕事だ。abe椅子店にお客さんを呼ぶ努力をしよう。
にらレバ読んだ方ご来店お待ちしています。
木工を続けるために
山奥とまでは言わず、田舎には田舎の暮らし方がある。自給用の野菜や作物、季節の仕事、収穫、選別、出荷、草刈り、薪作り、地区の行事、狩猟と採取、その他副業はある。仕事はひとくくりでは言い表せない。
よく聞く「田舎には仕事がない。だから子どもは帰って来ない。」職種が限られているのは事実。それはともかく生活はいろいろな要素で成り立っているとおもう。
おそらく20代の頃、自分のライフスタイルを探してもがいていた。漠然と自然豊かな環境に身を置き、そんな所でものづくりができたらいいなと。
韮崎でやりたいこと
今そのイメージに近い暮らしをしている。30代はひたすら技術の向上に時間を費やし、40代になってイメージがカタチになってきた。
そして50才。せっかく身の回りに山や川や豊かな自然があるのだから遊ばなければ。ちょっと目先を変えてみる。
この場所でなければ味わえない楽しい事を探さなければここで暮らしている意味がない。そして友達をつくろう。50代は兼業木工作家として、木工はもちろん、それ以外の仕事もなんでもチャレンジしてみよう。
固定観念にとらわれない自分なりの生き方、働き方を開拓するということです。それは言い換えると、家族のみんなで生き方を探っていくということでもあります。
これからの私と木工
大量生産、大量消費は依然として続いていますが、意識は変化し選択の幅は増えています。資源、リサイクル、エネルギー、環境、健康等々。何を選択するのかは自分の意志です。その選択の幅を広げるのが私の仕事です。私のつくったものが生活の中で使われることで、少しでも良いサイクルの一部に貢献できれば。そして暮らしの潤いと癒しになればとおもいます。
韮崎を旅立った若者へ
群馬の高崎にも観音様がいる。白衣観音。平和観音から見下ろす韮崎の町並み、そして見上げれば富士山。はじめてこの光景を目にしたとき、これはずるいと思った。群馬にも富士見という地名はあるが、あれは富士山じゃないね。
中央線が走ってて、その向こうに富士山があれば、若者ならばその先を見に行きたくなるのは当然の話だ。
それにしても私もまさか韮崎と繋がっていたなんて予想できなかった。未来は予測不可能だ。でも準備しておけば対応できるし、意外とそっちの方向に行ったりするもの。
子どもが3人いるけど、彼らの故郷はもはや韮崎なんだろうな。親がそこで楽しそうに暮らしていれば、子どもは自然にそう思って育つとおもう。旅立ち、いずれどこかで暮らし始める。それが韮崎であろうがなかろうが楽しそうにしていた方がいい。結局、そういう人の集まりで町は楽しくなるし、住んでいても楽しいのだから。自分の気持ち次第ということです。
何かあった時は平和観音から叫んで下さい。叫び方はそれぞれで。そして自由に!
abe椅子店代表 兼業木工作家 阿部公則