はじめまして、望月凜香です。私は韮崎生まれで、今は都留文科大学に進学して地域や社会について勉強しています。Miacisがオープンした時から通っていて、去年、Miacisの中高生スタッフをやっていました。大好きな本のこと、18年間暮らした韮崎のこと、これからのことを書いていこうと思います。
私と大好きなもの
私が小さい頃は図書館が今とは違って、平和観音の近くにあった。私は母に連れていかれてよくそこへ行った。これが私の奥底にある本についての記憶だ。
それから、ずっと本に没頭していたというわけではない。再び本を読むようになったのは中学生の時だ。
中学生の時、英語部という部活に入っていた。私がいた時の英語部は校舎の隅の一室でだらだらとおしゃべりしたりゲームをしたりしていて、時間のゆとりがありすぎるほどあった。だから、部室に行く前に図書室に寄る習慣があった。それは部活の同級生達と行っていて、みんな私よりも本に詳しくて、本を見ながらおすすめの本を教えてくれた。小説に夢中になった。本のページをめくり始めるとだんだんその世界へ入っていった。時々心を掴んで離さない本があった。そういう本に一回巡り合うと、また会いたくて図書室に行った。
休日は親にせがんで本屋に連れていってもらった。本なら毎週おねだりしても買ってくれた。
私はクラスが苦手だった。気付いたら一人でいることが多かった。それでも、本を読んでいる間は楽しかった。大学生になり、一人でいることが増えて、また本を読むようになった。本屋や図書館で本を選んでいるとき幸福感に包まれる。本棚と本棚をぐるぐるしながら、今、自分はどんな世界に行きたいのだろうと考える。どこか遠くに行きたくなったら、異国の話を読んでみる。本を作っている人たちの世界に行ってみる。本屋や図書館を巡るのもとても楽しい。
私と韮崎
私は韮崎で生まれ育った。だから、思い返す日常の景色のほとんどが韮崎だ。
最初に頭に浮かんできたのは放課後に近所の廃校の校庭でよく遊んでいたこと、池でザリガニ釣りをしたこと、自転車で中学校に登下校していたこと。
子供の頃に見て、感じていたこのような景色は、ありふれているようにみえて、本当はかけがえのない美しいものだった。
一番頭に残っていることは思い出したくないことだ。
私は中1から高1までいじめられっ子だった。中1の時はクラスでいやがらせが当たり前だった。私のノートを触ることはキモい(気持ち悪い)ことらしかった。クラスメイトと関わりたいと思うことはいけないことなのだと思った。
そんな状況でも、部活には居場所があって、友達でいてくれた。進級したことでクラス替えがあってだいぶマシになった。
高1の時、またいじめを受けた。クラスではLINEのグループで馬鹿にされたりTwitterに悪口を書き込まれたりした。おしゃべりできる時間があるとクラスが私の悪口で盛り上がるから怖かった。クラスでも部活でも一人でいることが当たり前で挨拶すら誰にも聞こえなかった。いっそ空気になれたほうが楽だと思っていた。自分が高校から飛び降り自殺をするところを毎日ずっと想像していた。
そんな日々を送っていたある日、韮崎にMiacisができた。最初はお洒落なところで勉強ができるというくらいに思っていた。だけど、Miacisにいる同年代の子たちや大人のスタッフは私に話しかけてくれた。私にはMiacisという居場所ができた。居場所があるというパワーは凄まじく、案外生きるのも悪くないかもと思った。
今と私
ついこの間、Miacisの中高生スタッフとして一緒に活動していた子とご飯に行った。気付いたら「こういうことやってみたいね、これ面白そう」という話をしていた。
中高生スタッフのときによく二人で「どうやったらMiacisがもっと良くなるか、Miacisのために何ができるか」を語っていたことを思い出した。
久しぶりに会って話してみて、当時私はミアキスで何かするときに、初めは「やってみよう」っていう明るい気持ちよりも「やっていいのかな」っていう不安の方が大きかったことを思い出した。「これやりたいかもしれない、これ面白そう」という期待と不安が入り混じった状態で何かを始めても、仲間と語っているうちに「やってみたい、面白い」っていう気持ちが増してくる感覚があった。
そうやって語れる存在も、まず勇気を出して、「やってみたいかも」って言わなきゃ見つからなかったし、やってみなきゃ仲間なんてできなかった。
これからと私
もし私に、クラスだけしかなかったら、学校だけしかなかったら、きっと生きてこられなかったと思う。ここが自分の居場所じゃないって思うところばっかりだった。逃げ出したいって思うところばっかりだった。
あの時辛かったことや息苦しかったことは変わらないけど、居場所はあったし、今の毎日を悪くないと思うことができる。
最近財布に入れておいてある詩がある。それに「うつくしいものはうつくしいといおう」という言葉がある。私が肌で感じる風や季節を美しいと思えるのは韮崎で育ったからだと思う。これからもきっと韮崎も私の見る景色も変わっていくけど、変わらないように美しいと思える人でいたいなと思う。
私にはやってみたいことがある、行ってみたいところがある。きっとそれは、私の日常の延長線上にある。図書館の本、自然の景色、ミアキスで出会った人たち、そんな大切な日常だったものを道標にしながら出発しようと思う。