編集長に「にらレバのリレー記事いつ私に回ってくるかな〜笑」って言ってたら、本当に回ってきてしまった、、。書きたいことはあったはずなのに、いざ書こうと思うと何も書けない、、。
記事書きたいなんて言ってしまって、本当におこがましいったらありゃしない、、。
面白い記事が書けたり、素晴らしい文章を書くライターさんを心底尊敬する機会となりました。
ありがとうございます!
そんなんだから、もう思ったことを書いていこう。
と言っても、本当に何書いたら良いか分からないので周りの人に聞いてみた、このリレー記事にどんなことが書いてあったらいいのか、読む人は何を知りたいのか。
そう聞くと、こう言われた。
- まず私がどんな人間か。
- そして、なぜ韮崎にいるのか。
- 韮崎のどこがいいのか.....etc
あと、最後に何かふざけたらいいよ。って。笑
ほほう。では、それについて書いていこう。
まず、私はどんな人間なのか!自己紹介ってやつですね!
1987年12月生まれ。
山梨県南アルプス市(旧甲西町)出身、どこかの病院で3062gで生まれたらしい。(親に確認したら家のリフォームで母子手帳を無くしたらしく情報が曖昧。)
予定日より一ヶ月も遅れて産まれたらしいので、その後私は肥満児としてすくすく育っていった。小学生の頃は祖父や祖母に随分と可愛がられ、ご飯やおやつを大量に与えられた結果がこれだ。
忘れもしない、小学6年の時にクラスで3人だけ肥満通知が渡され、そのうちの一人だったことを、、。そう、それがわたし 野田沙織(ノダサオリ)である。
今は木工を生業にしている。
大学で学んだ木工。これでやっていくと覚悟を決めるまでに時間はかかったが、今はこの道を選んで本当に幸せだ。毎日が、仕事が、本当に楽しい。
2017年に独立。Atelier Bond(アトリエボンド)の屋号でオリジナルプロダクト制作、受注制作、イベント出店、たまにワークショップ講師などをやっている。
「木」は楽しい。木は美しい。あたたかい。
instagram ⇩
Atelier Bond ( 造形作家 野田沙織 ) (@atelier_bond)
22歳の時に木工に出会う。そして10年が経った。
18歳で東京に出て、10年を東京で過ごし、28歳で山梨にUターン。
山梨に帰ってきて4年目を迎える。
当時、山梨には帰ってきたくなかった。
でも今は山梨に帰ってきて本当によかったと思っている、本当に。
幸せを噛み締める毎日!
東京の10年間
これは本当に刺激的な10年で、その10年をざっくり振り返ると、保育士を目指し18歳で都内にある保育の大学に進学、そこを1年半で自主退学、進路変更。卒業したら就職する、という親との約束でその年の秋にバイト2つ掛け持ちしながら週一のインテリアデザインの専門に一年通いインテリアデザイン・空間を学ぶ。一年経って、就職すると思いきや、一瞬イタリア留学を考えた後、美大進学を選択。
狙う第一希望は武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科。
そりゃあ、もう親は大反対。「絶対受からないからやめなさい」「絶対に受かる!!」の言い合い。泣きながら反論(とにかく私は負けず嫌い、、)土下座しながら親を説得、美術予備校を経て2010年に武蔵野美術大学へ入学、木工に出会う。2014年に卒業し、卒業後はバイトしながら空いてる日に制作。2016年2月〜5月をドイツのドュッセルドルフで過ごして、その後、山梨に戻ってきた。という感じ。(今思うと、本当に親に頭上がらないし感謝しかない、、。)
なぜ韮崎なのか
気がついたら韮崎にいた。たまたまというか、流れに身を任せていたら辿り着いた場所。家を探していたらたまたま韮崎に住めることになったから今ここに居る、という感じ。
韮崎に住み始めて今年で2年目になる。
今、この環境が最高に楽しい。
韮崎のどこがいいのか
韮崎がいいというよりは、韮崎に好きな人たちがいるからこの町が好きになった、という感じだろうか。楽しい仲間が近くに沢山いる。波長が合うというか、居心地が良いというか。
自分が自営業で仕事をするようになって、固定概念を捨ててから、面白い思考を持つ人たちに出会えるようになった。今までの自分だったら絶対出会えなかったような人たちが沢山いる。
みんな、本当に、面白い。何考えてるか分かんないし、変な事ばっか言ってる。笑
常識とか、固定概念とかそんなの関係なくて(いや、一般常識はもちろんあるのだけれど、笑)
みんなクリエイティブで、いつも何か面白い事・新しいことを生み出そうとしてる。
挑戦しようとしてる。尊敬できる。そんな仲間といるのがとても心地よいのだ。
そんな私も韮崎には住んでるけど、実際は住むまで駅がどこにあるかも知らなかったし、町自体には興味がなくてただ住んでるってだけだった。でも一回ちゃんと町を知ろうと思って、手始めに商店街を散歩してみた。シャッター街で商店街は終わってるだのなんだのって話は聞いていたけど、歩いてみたらすごく面白くてあっという間に4〜5時間経ってた、、。
入るお店、入るお店、
”お客さん!待ってましたー!!”というように、色々話してくれる、!笑
何店舗か寄ってみたけど、印象に残ってたのは『藤井屋陶器店』。
こういうところってフラッと入るの結構勇気いるよね。
でも思い切って入ってみたらすごく面白いし宝の山だった、、。
そして食器について何も知らないので「これはいつのどこのやつですか?」って聞くと、色々話してくれた。
多分、多分だけど、きっとそう聞かれて嬉しかったんだと思う。
裏の倉庫からお宝みたいな食器どんどん出してくれて、これはこの時代のこういうやつで、これはね、これはね、、、ってすごく楽しそうに話してくれた。え、めちゃくちゃすごいやん。と思った。こういう出会いに感動してしまう、私も嬉しい!
しかも安い。なんでこんなに安いのかって聞いたら、こう答えてくれた。(気がする)
『食器っていうのは日常で使うものだから、高価である必要がないんだよ。すごく古い時代のもので、価値があって高いものもあったりはするけど、基本的には日常的に、多くの人が気軽に使うもの。気軽に使って欲しいから、そんなに高くは売らないようにしてる。』
(みたいな内容だった。)
日常に寄り添う食器、、、、、素敵だ、、。
そんな店主の思いに感動し、買ったのがこちら。
美濃焼のカップ&ソーサーたち。かわいい、、。かわいいのだ、、!
1セット1000yenしなかった気がする!また行こうっと。
※美濃焼の特徴ってみなさん知ってます?”特徴がないのが特徴”なのです。
(詳しくは→ http://www.tougeizanmai.com/tabitetyou/006/rekisi-more.htm )
こんな感じで、探せば面白いものはある。素敵な出会いがある。
面白いこと、楽しいこと、ワクワクすることは自分で探す。想像する。
さらには、面白いと思えるかどうか。自分次第なのだ。
山梨に戻ってきた2016年
私は山梨に帰ってきた2016年に一度死んだと思っている。
何もかも、もうイヤだ、と思った。(人生、本当に色々あるんだナァ。)
生きる意味がわからず、土手に座って泣きながら川の流れを見たり、雲の変化をボーッと眺めたり、蟻の行列を阻止してみたり、石をひたすら並べてみたり、とにかく時間が過ぎるのを待った。その時、いま自分は死んでいると思った。
何にも楽しくなかったし、楽しいと思えなくて笑い方を忘れた。時間が経てば、どうにかなることは分かっていたので必死にどうにかなるのを願った。
それで試行錯誤した結果、いつか死ぬならやりたいことを思い切りやって、死ぬ時に後悔しないように生きたい、という考えに至った訳である。
もう誰の意見にも流されず、自分のやりたいことをわがままに、本気でやろう。
好きなものは好きと胸を張って言いたい。嫌なことは嫌と言えたら楽になる。
お金なんかなくたって、いつか困らない程度に貯金が出来ればいい。
食べ物が買えないなら自分で作ればいいや。(畑とか、、、?)
家は最悪、屋根と壁があればいい。というかテントでいける。アウトドアが好きでよかった。
トイレは穴を掘ってすればいい。割と爽快。
みたいな、究極の、最悪のパターンを考えるようになった。
そうすると何事も意外とイケる、、、イケるぞ、、!と思えた。
こうして見事に闇から這い上がった時にはそれまでの自分はもう居なくて、人生で初めて「うわああああああ!生きてるって、マジですごいぞ、、、、、、」と思ったし、人間はこんなにも変われるのか、と驚いた。超絶ネガティブな過去の自分はどこへ。ポジティブな自分へと生まれ変わったのだ!!そして「生きる」ということに感謝の気持ちも生まれた。
ご飯が美味しい!
歩けるってすごい!
手が動く!
喋れる!
目が見える!
笑える!
すごい!!え、すごすぎるんですけど、、、、、!
たのしい、、
今まで当たり前だった事が全部、本当にすごい衝撃だった、、。
感謝しかなかった、、。
今まで「どうしよう、どうしよう、大丈夫かな、、」という不安の中で生きてきて、何事も諦める理由を探して生きてきた。
でも、この時をきっかけに不安よりも楽しみが大きくなった。あれもやりたい、これもやりたい、何事もやってみなければ分からない。そして、やれる気がしている。
私を支えてくれたのは景色だった
唯一、景色だけが心の支えだったあの頃。
山梨の自然の豊かさは、尋常じゃない。美しすぎる。
全部当たり前のようで、当たり前ではない。
目が見えるから、景色に感動できる。
6月の夕焼け空が綺麗すぎて忘れられない。
韮崎には観音様が居て。
そこからは見える富士山はとても美しい。
ものすごく綺麗な富士山が見えた時は「最高か、、、」と思った。
自分の住む町にこんな素晴らしい景色を見せてくれる場所があることを嬉しく思う。観音様の顔も本当に穏やかで見ていると癒されるのだ。
何回か通っていた時、一人山を眺める男性に出会った時があった。お互い少し距離を保ちつつ、同じ景色を眺める。何かのタイミングで「こんにちは」と一言挨拶をする時があった。もし相手がものすごくイケメンで少し哀愁を漂わせていたら恋が始まっていたかもしれない、と妄想してみる。ふふ(まあ、現実にそんな恋の始まりはなかなか無い!)
国道20号を走ると南に富士山、北に八ヶ岳、そしてわたしの憧れで大好きな甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山などが顔を覗かせる。最近はもっぱら甲斐駒ヶ岳に恋をしていて、いつ見ても本当にかっこいい。登下校中に好きな男の子に会えるか会えないか(ドキドキ)みたいな感覚。見えた時の嬉しさたるや!!
ドドーン!かっこいいー!
韮崎にアメリカヤが出来て、やっぱり変化はあるし、アメリカヤ横丁ができて飲む機会も増えた。
アウトドア専門の古着屋『BAMBOO CORE』や登山客向けのゲストハウス『chaho』もできた。
登山好きの私にとってはすごく嬉しい。みんなにもっと山を、自然を好きになってもらいたい。
韮崎の未来は明るいと思う。これからが楽しみ。
何事もすぐじゃなくていい、少しずつ少しづつ良くなっていけばいいのだ。
そんなこんなで、うまく伝わっているかどうか不安だが、
韮崎は、良い。(今のところ!)
山梨で幸せを感じている今
最初の方に述べた『当時、山梨には帰ってきたくなかった。でも今は山梨に帰ってきて本当によかったと思っている』について、ちょっと書き足そうっと。
若い子は尚のこと、多分思っているだろう、山梨は何もない。つまらない。と。
私もそう思っていた。すぐ東京に戻るつもりだった。
でも山梨に戻ってきて、生きてることの素晴らしさに気付けたし、一回死んだことによってずっと夢見ていた木工をやる決意ができた(なるようになる、と思えた)し、実際に作業場が持てて(家賃が安いので拠点を持ちやすい)、仕事が出来ていて(まだまだスタート地点だけど)色々と良い事が巡ってきた。そして、良い仲間が増え、嫌いな人がいない人生になった。
幸せだ。
何かやりたい事があるなら、やれる環境はちゃんとあると思う。田舎にはチャンスがある。
それを自分で見つけられるかどうか。
というか、まず、やりたいことがあるかどうか。
せっかく生きているのだから面白いことしたいし笑っていたい。
山梨はいいところ、韮崎も、きっとどんな場所にも良いところがあって、そこに目を向けられるかどうかかと。戻ってきたときは、山梨なんて大嫌いだと周りの人に言っていた。きっと笑顔もなかったと思う。でも今は胸を張って、笑顔で言える。山梨が大好きだと。
なんちゃって(生意気だな、私!)
そんなこんなで木工やってます
私は、最初に述べたように木工をやっていて、自分で山や自然をモチーフにした作品を作っていたり、受注でテーブルや店舗の什器を作っていたりする。
こうやってモノが作れているのは、一番は自分の気持ちだと思っている。
好きだから、続けたい。やめられない。
気持ちがなければ続かない。(やめるときはきっと木工より大事なモノが出来た時だろう)
そして、周りにいる方々の協力があってこそ。そして、山梨の環境。(家賃が安かったり、人との繋がりが濃かったり。)
「なるようになる」が座右の銘の私は、頭で考えるより先に行動に移してしまうので、うまくいかない事がほとんどだけど、それが自分なので「なるようになる」ように一生懸命やっていくと決めた。
地道にやっていけばきっとなるようになるのだーーー!
みんなもっと全力で遊んで楽しく生きていこうーー!
まだまだ未熟者ですが何卒、何卒、応援よろしくお願い致します。
ただいま絶賛 木工の、人生の、パートナー募集中です。
あと、木工ができそうな空き倉庫や空きプレハブ情報知ってる方いたら教えてください!( 韮崎か北杜あたりで。)
最低30坪くらいは欲しいです。動力がすでに引いてあれば尚良し。
広い作業場を探しています。よろしくお願いします。
野田沙織
・山や自然をモチーフにしたオリジナルプロダクト制作
・受注制作 / 家具、店舗什器、簡単なリペアなど、ご相談ください
・企業向けワークショップなど
例)企業説明会のブースに置くテーブルや椅子を社員で一緒に作りたい、などご相談ください
https://www.instagram.com/atelier_bond/
お問い合わせ : noda.saori@gmail.com