親子みんなでご飯を作ってくつろげる場所『だんらんキッチン』運営者|リレー記事vol.018『アサトムツミと韮崎と未来』

だんらんキッチン運営者安里睦美さんアイキャッチ画像 わたしと韮崎と未来

私について

みなさん、はじめまして。

アサトムツミと言います。夫と、3歳の息子と暮らしながら、韮崎の平和観音にあがる途中の道沿いで「だんらんキッチン」という場所を運営しています。

だんらんキッチンとは、私の家のリビングを開放して、いろんな人に使ってもらえるような場所です。誰かと一緒にご飯を食べる場所が欲しくて、トータル2年くらいかけて、夫とDIYで作りました。

だんらんキッチンの様子。友だち親子が一緒にご飯を食べています。

今回この記事を書かせていただけることになって、どきどきしています(バトンもらっちゃった!)。

私がこれまで生きてきた29年間で起きたこと、そして大事にしている「社会を変える」という考え方について、書いてみようかなと思います。

私は福島県出身で、山梨には6年くらい前から住んでいます。

甲府・身延を経て、韮崎に住んで今年で4年目。

新卒で関東の会社に入りますが、1年もせずに対人関係のストレスで退職しました。

そして紆余曲折あって山梨で暮らすようになり、結婚し、子どもが生まれました。子どもは可愛すぎてたまりませんが、初めての子育てにまた戸惑い、しんどさを感じることもありました。

そんな時に、ここ韮崎で、私の中での大きな出来事がありました。

そんなお話を。

社会に出て、現実を知る

2013年4月、静岡の大学を卒業してすぐ関東にある住宅会社に就職。

地域に根ざした活動をしていたことに惹かれて入社し、社会人一年目がスタート。同期は自分を含めて5人。そのうち1人の女の子と会社の社宅で住むという、シェアハウスも同時に始まった。

初めて仕事というものに向き合い、よく分からないこともたくさんあったし、難しくて大変なこともたくさんあった。社員の一人ひとりが分かるような小さい会社で、新入社員として日々奮闘していた。

でも、だんだん仕事以外のところで「あれ、なんか変だな」と思うことが増えてきた。

「佐藤さん(私の旧姓です)、ちょっといい?」

私の目の前の席に座る上司が、パソコンの脇から、ひょいと顔をのぞかせて言う。

この言葉が上司からかけられると、一緒に会議室に行かなくてはならなかった。打ち合わせという名の説教が始まるからだ。

「あのさ、佐藤さんのこういうところだめだよね」

「ホントの優しさっていうのを全然分かってないよ」

「八方美人だよね〜」

上司と一対一の狭い空間で自分を否定してくる言葉の数々。最初は、自分のせいで迷惑かけてるなら…と思い、自分がその性格を直せばいいんだと思っていた。だけどそんな私の様子を見てなのか、上司のほうもエスカレートしていった。

今客観的に見れば明らかにおかしい状況だと思えるが、当時の私は仕事で上司についていくのに必死な状態。言われたことはきちんと直して対応しなければという思考。

そのうち「なんで自分はこんなにだめなんだ」「何回言われても直せないなんて全然役立たずだ」とか、「こんなに迷惑かけてるのに、生きてる価値はどこにあるんだろう」と、どんどん自分を否定していった。

信じられない言葉もたくさん聞いた。

「あのさ、佐藤さんには一回潰れてもらおうと思ってるから。」

一回仕事で潰れてみないと仕事の本質は分からないんだよとか、上司はそんなことを言っていた気がするけど、そこはあんまり覚えてない。ただただ異常な雰囲気だけは伝わってきた。

上司の顔色を見ながらビクビク会社に行く日々をなんとか続けていたけれども、限界は近づいていた。毎日の帰り道は、お母さんか当時お付き合いしていた今の夫に電話をして泣きながら歩いた。今日はこんなことで怒られた、とか、私のいいところってなにかな、とか言いながら。

つらいなあ。

苦しい。

涙が出る。

でも行かないと。

あの仕事全然進んでないし…。

体を引きずるようにして毎朝会社に向かった。文字通り潰れさせるためなのか、仕事の量もどんどん増えていった。朝早く出社して、日付が変わるギリギリに帰宅する毎日だった。

ああ、仕事…行きたくない。

そして、ある日。

急に会社に行けなくなった。

この日は奇しくも今の夫の誕生日だったのだけど、朝早く始発で迎えに来てくれて、そのまま近くの病院に駆け込んだ。そこで診断書を書いてもらい、実はそのあと一度も会社へは行けていない。

「生きる」のに本当に大切なことって何だろう

仕事を逃げるように辞めて、今の夫がいる山梨にやってきた。彼は同学年だが既に新卒で入った会社を辞めて、身延という町にボロボロの古民家を借りていたので、とりあえずそこに住むことになった。途中実家に帰ったりもしたけど、こんな感じで私の山梨生活が急にスタートしたのだ。

このときの私は、新卒で入った会社を辞めた罪悪感と、レールを外れたような感覚でものすごい自己嫌悪に陥っていた。どんなことにも自分を肯定できない感じだった。

ボロボロの古民家で住むということで心配した両親から、「とりあえずもうちょっと安全なところで生活しなさい」とのお言葉をいただいたので、甲府でアパートを借りて何か仕事をしながらお金を貯めることにした。夫の知り合いの方に仕事を紹介していただいて、甲府のカフェでアルバイトをさせてもらえることになった。

とてもお世話になった、甲府中心街のカフェ・キュイエール。

元気ではつらつとしているオーナーさんが切り盛りするカフェで、食材にこだわったお料理と優しい家庭の味を食べられる場所だった。働く前に、お客さんとして最初に野菜のスープを飲んだとき、優しい味に涙が出るほどだった。今思うとそういう食事に飢えていたのかもしれない。

職場時代は毎日時間がなさすぎてコンビニに通っていた私。コンビニのお弁当ばかりだったのでお腹は満たされても肌の調子が悪かったり、体調はすぐれない感じだった。今より5キロ以上も太っていた。

それが、甲府に来てこのカフェで働き始めてからすごく体調がよくなって、ご飯もおいしく味わって食べられるようになった。汗水流して野菜を作ってくれる農家さんとも出会い、「食」が自分の健康にとっていかに大切かを身をもって感じていくことになる。

カフェではホールもキッチンもさせてもらっていたので(料理は特に得意じゃなかったのに素人の私にそんな大切な仕事もさせてくれた!)、自然と調理することにも目が向いた。大学時代に自炊していたとはいえ、特段好きなことでもなかったし、こんなに長い時間キッチンに立ったことはないといっても過言ではない。

でも仕事なので、仕込む。大量のカレーやハンバーグ、ケーキなども作る。「食べ物を自分で作る」ことで、原材料に目を向けるようにもなった。だんだん楽しくなってくる。まかないも美味しくて、きちんと食べているのに健康的に痩せていった。

家でも料理を楽しめるようになった。練習を兼ねてお店と同じメニューを作ってみたり、アレンジするのがすごい楽しい。塩をこれしか入れてないのにこんなに味変わるのか!塩すごい!となったり。笑

キュイエールのランチ。野菜たっぷりで優しい味。心も体もあったまってホッとする。

体調がよくなってくると心も元気になってきて、少しずつ楽しい気持ちも生まれてきた。

平日はカフェでアルバイト、週末は身延の古民家の改装をしながら副業としてそこで民泊を始めた。

約1年働かせてもらって、その後は身延の古民家へ移る。

山奥の田舎暮らしで、海外の友だちがたくさんできた

みなさん民泊って知っていますか?

自分の家の「空き部屋を人に貸す」というイメージです。

都会の方ではマンションの一室をまるまる貸して、ホスト(貸す側)とゲスト(お客さん)が顔を合わせることもなく宿泊できるところもあるみたいだけど、うちはホームスティのような感じで、一緒にご飯食べたり出かけたりも楽しんでいた。

デンマークからのゲスト。男性は小説を書いていて、登場人物の名前に、私の名前を使ってくれることになった。

アクセス最悪のど田舎にある築100年のボロッボロの古民家へ、外国人のお客さんが2年くらいの間にトータル70組も来た。こんな田舎にわざわざ外国から、これほどたくさんの人が来てくれるなんて自分たちもびっくり。

そしてゲストと話す中で、日本の常識は世界の常識ではないことを痛感した。特に働き方や、生き方。みんな自由に、楽しく、自分らしく、堂々と生きていた。その姿はとてもかっこよかった。

海外に行って、うちに来てくれたお客さんに会ったりもした。

アメリカのアイオワ州でゲストに再会。

そしてゲストに再会する旅から帰国後、妊娠が分かった。安定期を過ぎた頃に急きょ長期入院することになって、身延からでは甲府の大きな病院に通えないことから、またまた住まいを移すことになる。

初めての妊娠と出産をきっかけに、韮崎へ

入院中、点滴しまくって腕がぼこぼこになった。

妊娠するまで知らなかった「前置胎盤」。リスクが高いことから、長期入院することになり、出血を確認する検査のあとそのまま甲府の病院に残ることになった。

身延から甲府まで1時間もかかること、民泊をストップしなければならないことを加味して、夫は新しい仕事を見つけてどこか別の場所に住むことにした。それで出会ったのが、いまの職場がある韮崎だった。

とりあえず産後の家がないと困るので、急ぎで市営団地を探し、運良く空きがあった部屋に契約。住所変更の期限ぎりぎりの10月14日。市役所で手続きしていた夫のもとに病院から「今から手術しますので、来てください」との電話が入る。

その頃わたしは突然の大量出血におびえながらも術前の準備に入っていた。そのまま帝王切開手術が開始され、息子は無事に誕生した。

息子誕生後、数日経ったある日の写真。まだ保育器に入っている。
脂肪が少なくてしわくちゃだったのでおじいちゃんみたいだった。かわいいおじいちゃん。

産後もいろいろあって、結局人より長い期間の入院を経て、退院。その足で新しい住所のある韮崎の団地に帰った。息子も少しの期間入院していたが、出産から約一ヶ月後無事に韮崎へとやってきた。韮崎での家族3人の新しい生活が始まった。

育児に奮闘しながらも疑問が浮かぶ

初めての育児。

赤ちゃんはふにゃふにゃで、今にも潰れてしまいそうなほど柔らかかった。息子は小さく生まれたのもあって、実際小さく軽かった。私のお父さんが様子を見に来てくれた時に「ちっちゃくて綿棒みたいな指だなあ」と言ったのが印象的でよく覚えている。でも本当に、息子の足の指は、綿棒の先のふわふわしたところみたいに小さかった。

それから息子との毎日が始まった。赤ちゃんってこんなに泣くんだ。昼夜のリズムも整わないんだ。空腹や排泄だけでなく、眠れなくて泣くんだ。いろいろ知らないことを発見し、一日一日経験を積んでいく感じ。夫も新しい仕事に向き合いながら、2人で生まれたての赤ちゃんのお世話をした。

赤ちゃんはすごくかわいい。でもこんなに寝不足が続くとはやっぱり知らなくて、眠くて眠くて今日のことなのか昨日のことなのか分からない日もあった。イライラもした。この記事を読んでくれている新米お母さんがいるとしたら、この気持ち、すごく共感してくれると思う。

今思えば一瞬のことなんだけど、それでも当時、しんどいものはしんどかった。時々「つらいのなんてすぐ終わるよ」「懐かしくなるよ〜」と励まされることもあったけど、その言葉は私には響かなかった。「いや、つらいの今なんです」と心の中で反抗したりするときもあった。

寝不足で心身ともに疲弊しているときは、冷静な判断ができないということを実感し、もしこういうことがずっと続いたりしたら自分の子に手をあげてしまうという心理もちょっと分かる気がして、怖かった。

育児って特に思うんだけど、「我慢してなんぼ」みたいなところがあって、耐えたからえらいとか、自分を犠牲にしてこそ、みたいな変なルールが暗黙の了解としてあるように思う。

過去に育児を経験してきたお母さんたちを尊敬しつつ、でも経験者であるからこそ自分の体験を全てであるように押し付ける人もたまにいて、アドバイスとして善意で言ってくれてるのに受け入れられないこともあった。なんというか、絶対もっと楽にできるし、しんどい思いしなくても済むやり方があるはずだよなあと思っていた。ひねくれた新米ママだった。笑

産後数ヶ月で息子が少し夜もまとめて眠れるようになったころ(4〜5時間とか)、日中お出かけしてみようと思い、ずっと行きたかったにらちびへと足を運んだ。赤ちゃんを連れての初めてのお出かけはちょっとした冒険みたいな感じで、何度も持ち物を確認して、赤ちゃんのタイミングを見計らって家を出る。

にらちびに行って思ったこと。

なんかとにかく安心する…!!

自分以外のお母さんがたくさんいて、スタッフさんがいて、話をする相手がいて。ずっと家で赤ちゃん、夫としか(たまに宅配のお兄さんも)話していなかった自分にとっては、久しぶりに第三者と話す感覚が新鮮だった。それから毎日のようににらちびに通った。いつも大体決まった時間に行くので、友だちもちらほらでき始めて、通うのが楽しかった。

そんな毎日を続けていて、ふと思ったことがある。

うちは夫がお昼の2〜10時の間に仕事に行くので、2時以降ににらちびへ行っていた。そうして大体閉館の5時までずっと滞在。でも閉館のあとは帰るしかないので、2人きりの家に戻る。そして夕飯を食べて、お風呂、寝かしつけをした。夫は息子が寝てから帰ってくる。

「なんか、夕方って寂しいな。夜ご飯のとき、誰かいたらいいなあ。」

そんなことを思った。

一日の疲れも出るし、息子の黄昏泣きもあって、なんとなく不安な気持ちになりやすい夕方。

息子の離乳食も始まり、離乳食をあげて自分もごはんを食べてってすると結構ばたついて、疲れることも増えてきた。自分ひとりのためにご飯を作る時間も惜しくなり、ほぼ毎日納豆ご飯で済ませていた(夫はお弁当を持っていっていたので、帰ってから一緒に食べることはなかった)。

納豆、好きだけど、なんかもっといろんなものゆっくり食べたいなあ。

あったかい手作りごはん食べたいなあ。

先述の通り、料理をするのが好きになったこともあって、途中で中断することなくじっくり料理できる時間も欲しくなっていた。

息子が10ヶ月になるとき、今まで思ってきたことをFacebookにつらつらと書いてみた。

みんな夕方の時間どうしてますか?と。

そうしたらコメントが来る、どんどん来る。

みんな日頃のストレスや疑問を抱えつつも、必死に子供と向き合っていたんだなと思った。夕方集まるのに抵抗がある人も多く見られたので、自分の場合と照らし合わせて、とりあえず仲良くしている友だちに声をかけて一緒に夕飯食べてみようかな、というところに至る。

「旦那さんが夜勤で夜いない日がある」と言っていた友だちに連絡してみて、夕飯一緒に食べない?と誘ってみた。友だちが子どもさんと私の息子と遊んでいるうちに、私がみんなの分のご飯を作った。旦那さんの分も持ち帰りできるように多めに。家に人がいる安心感があり、少しでも気が紛れた。

それから、にらちびでアンケートを取らせてもらって、実際どのくらいの人が同じことで悩んでいるのかを調査させてもらった。思っていたより、同じ悩みを持つ人は多かった。

実際配ったアンケート。全部で三枚くらいになったかな。自由記述の欄は、お母さんたちの想いがたくさん書いてあった。

Facebookの投稿を見てくれていた、いつもお世話になっていたにらちびの内藤香織先生がある時声をかけてくれた。

「にらちび、夕方の時間あけてみよっか!私が開けるから大丈夫!」

「え!?

そんな簡単に開けちゃっていいんですか??」

そうして当時は週に1度の「トワイライトひろば」がスタートした。夕方5〜7時、ニコリ二階の部屋を開けてくださって、子どもを連れて遊びに行くようになった。

うちで夕飯に誘った友だちも、旦那さんが夜勤のときはよく遊びにきていた。全体の人数はそこまで多くはなかったけど大体4〜5組。ほとんど毎回同じメンバーが顔を合わせるようになった。

「こうなったらいいな」という声が届き、実際に形になって、生活が少し変わり、前よりよくなった。

これが私にとっての大きなきっかけとなった。

社会って、もしかしたら自分の力で変えられるのかもしれない

トワイライトひろばに毎週通う私と息子。木曜日の夕方はいつもとても楽しみだった。

でもまた1つ思うことがでてきた。

「夕飯までここでみんなでわいわい食べて帰れたら最高なのになあ…。」

というのも、トワイライトひろばで楽しい時間を過ごした後は家に帰って、準備しておいたご飯を息子と2人で食べないといけなかったからだ。息子のことが嫌なのではなくて、お世話をしながら急いでかきこむゆとりのない食事がちょっと嫌だった、なんとかならないかなと思っていた、ということだ。

これも、なんとなく香織先生に言ってみた。そしたら、「じゃあトワイライトひろばを一回使ってやってみたらどうかな?」というお言葉をいただいた!そうか、自分でやればいいんだ。

そうして2018年の2月8日。

トワイライトひろばの時間を使って「だんらん晩ごはんの会」を実施させてもらうことになった。

イベントの時に配った紙。

集まったのは7組の親子。親は半分ずつに分かれて、託児班と調理班になる。託児班はいつもの部屋で子どもたち(調理班になったお母さんの子どもさんも一緒に)と遊ぶ。調理班はシチューをこしらえる。離乳食中の赤ちゃんもいたので、離乳食バージョンのシチューを作ったり、旦那さんの分を持ち帰りたい人は事前に申告してもらっていたので、多めに作り、持参してもらったタッパーに入れる。

2時間しか無かったのでばたばたしながらも、大人数でわいわい食べるご飯はすごく楽しかった。

そして欲張りな私はまたここで1つ感じる。

「調理室と遊ぶ部屋が離れてて子どもの様子が見れないって、ちょっともったいないなあ。」

「調理もできて子どもと遊べる、そんなスペースがあったらいいなあ。」

実はだんらん晩ごはんの会を実施するのと同じくらいのタイミングで、団地を出て韮崎商店街の空き家を借りて住もうかという話が出ていた。夫は過去に身延で古民家を改装していたこともあるほど、DIYが趣味である。韮崎に来た当初は家さがしを急いでいたので団地に入ったが、ずっといるつもりはなかったので、いつかは空き家を改装して住みたい…という思惑があった。

空き家を改装して「だんらんキッチン」という拠点をつくろう

息子が1歳を過ぎていろんなことが出来るようになり、夜起きる回数も減ったので(これはすごく大きい変化!!)、だんだん自由に動けるようになってきた私も、新しいことへと考えがシフトしていったんだと思う。せっかく一から空き家を探すなら、人を呼んで一緒にご飯を食べられるようなスペースもほしい、民泊もやりたいよね!ということで、少し広めの家を探し始めていた。

お借りした物件。2階建て。

年末年始の夫が休みのとき、息子をだっこして商店街周辺をぐるぐる歩き、よさそうな家を見て回った。いくつかの家を見つけて、知り合いに相談して、自分たちでも息子の昼寝に合わせて話し合いを何度もし、よさそうな物件の大家さんとつながることができた。みんなで一緒にご飯が食べられる場所は「だんらんキッチン」と名付けることにした。

ここからは交渉、契約、片付け、そして改装へと進むが、すっごく長くなってあと10000字以上書けそうなくらいなので笑、詳しくはひっそり書いているブログのほうをご参照ください。

https://danrankitchen.wixsite.com/main/blog

ちなみにこの改装だけで1年半の時間が経過している。すっごい長かった。大変だったなあ。

だんらんキッチンが、本当に目の前に現れた

今振り返るとやっぱり長いけど、約1年半もの間、改装をしていた。息子もすっかり成長した。

特に改装を始めた頃はなかなか作業に慣れないし、進まなくて、もどかしくて、イライラしてることも多かったなあ。

一階のリビングを作っているところ。天井・床・壁の内側はこんなふうに断熱材を大量に使っている。工具や機材、建材などに囲まれた現場で毎日を過ごす。

それでも「ここでやめないぞ、負けないぞ」と自分を奮い立たせてくれたのは、あのとき感じたしんどい気持ちであり、同じ境遇にいた友だちの存在だった。やっぱりいま自分が何か行動しないと、同じことで悩む人が絶対にいる。何もしないでいればいつかは楽になるんだろうけど、それでは根本的なところは変わらない。そういう想いだった。

そして、2019年12月21日。

だんらんキッチンお披露目会の様子

お披露目会として、だんらんキッチンプレオープンのイベントをやった。餃子をみんなで作って食べたり、持ち込みも自由にしていろんな差し入れをいただいたり、あとは大好きな友だちにドリンク出店をしてもらったり。

ちょこっと挨拶と今後の考えについて発表させてもらったが、今まで工具を片手に汗水流して現場作業していたこの場にいろんな人が集まり談笑し、たくさんの子どもたちが遊んでいる様子を見てとにかく感動して、何を話したのかあんまり覚えていない。笑

私と夫が餃子作りや全体の様子を見てうろちょろしている中、息子は友だちやそのお母さんと一緒に何やら楽しんでいたようだった。あとからいただいた写真に、とても自然にその中に溶け込んで、親がそばについていなくても人との交流を楽しむ息子の姿を見て、私はひどく感動した。

イベントのあとには、夫の職場のみなさんがこの場所で忘年会をしてくれたり(明るい時間から、子どもが一緒に参加できる忘年会ってめちゃくちゃよかった)、ずっと私を支えてくれたママ友が遊びにきてくれたり、一緒に夕飯を作ってご飯を食べることもできるようになり、それだけでなく「性教育」の勉強会の会場などとしても使ってもらえるようになった。

今はコロナの影響もあって、民泊もオープンできないまま、だんらんキッチンは公には閉めている。それでも徐々に友だちが訪ねてくれたりしている。

ご飯を作って一緒に食べられる環境が作れて、もしあの頃の自分のような人がいたら「うちにおいで」と言えることが嬉しい。いまそういう人が近くにいたならば、「つらいの、我慢しなくていいんだよ。一緒にご飯食べよう!」と伝えたい。

寂しかった時間は、いろんな人の助けを借りて、楽しいだんらんの時間に変わった。

「社会って自分たちの力で、いい方向に変えていける」という想いに実感が伴うようになった。

これからのだんらんキッチン

もちろん今まで思っていたように「一緒にご飯を食べる」場として、だんらんキッチンを使ってもらいたい。

そして最近思っているのは、市民活動が起こる場所になったらいいなということ。

私はいま沖縄の歴史に興味があって、ちゃんと勉強したいなと常々思っていた。そうしたら周りにも「私もやりたいと思っていた!」という人が意外といた。これからだんらんキッチンを拠点に沖縄の勉強会をやっていくことになったり、先日第一回目の集まりをした。

沖縄について学びたい人で集まって、DVDを見たり、話して考えを深める。

何かについて学び合える時間を作れたら、その人の人生はもっと豊かになると思っている。仕事や家庭のことだけでなく、何かしたい!と思った時に、第一歩として仲間を募ったり、学び合う場所としてもぜひだんらんキッチンを使っていただきたい。

大切にしている言葉

ここまでで既にめちゃめちゃ長い文章になってしまって自分でも戸惑っているが、最後に私が生きる上で大切にしている言葉について書きたい。

1つ目は「社会を変える」というもの。

これは、大学のゼミで使った本「社会を変えるには」という本から。中身は、近現代の歴史の解説から、社会活動に関して書かれたもので、はっきり言うとあんまり覚えていない。ただこのタイトルだけは強烈に自分の中に残っている。うちに本もあるので、読みたい人はお声がけください。

「社会を変える」ってすごく大きいことのようだけど、実は自分の行動や変化が何かしらの影響を周りに与えている。私の場合、どこの新米ママも感じるようなちっちゃな悩みだったけど、それを声に出したりいろんな人に相談したりしているうちに、「こうだったらもっといいなあ」というのがむくむく膨らんできた。そうして、場を作るところに至った。いきなり場を作るのはハードルが高いけど、「こうだったらいいのに」と思うことが社会を良くする第一歩になると思う。

逆に、言わないで我慢することもできる。でもそれでは何も変わらないことになるし、いつかは自分がクリアできても、他の人にも同じことが起きてしまう可能性がある。私は昔から「自分が我慢すればいいや」と思うことが多かったけど、最近は「今何もしないでいるとどうなるか。息子がおとなになったとき同じことを思うのであれば、それは何もしなかった私たち親の責任だ」と思うようにしている。

「こうだったらいいのに」というのは一見わがままにも見えるから、批判などもあるかもしれない。でも長期的な視点で見ると、ちょっと印象が変わって見えてくる気がする。

当事者であるからこそ、声をあげられる社会であってほしい。

言わないとその存在さえも気づいてもらえないから。

「韮崎に来て、自分の声で環境が少しずつ変わっていった」という経験が、そのことを強く実感させている。

そしてもう1つ。

「嬉しい楽しいというプラスな気持ちはもちろんだけど、悲しい苦しいしんどいとかいうマイナスな気持ちも大切にしてあげてね」

大学時代の尊敬する先輩にもらった言葉。これは今もすごく大切にしている。マイナスな気持ちは持ってはいけないような、そんなふうに思っていた私。でもそうじゃないんだと気付かされた。プラスもマイナスも、感じているのは自分自身。無理して笑わなくてもいいし、つらいときは「あ〜なんか今つらくなってるなあ」とあえて認識するようにしている。自分に素直に生きたいし、息子にもそんな大人になってほしい。

ここまでめちゃめちゃ長い文章を読んでくれて、ありがとうございました。

もしあなたが、過去の私のような「夕方の時間がつらい…」「孤独な育児がしんどい…」と思っていたら、ぜひ教えてください。

一緒にご飯を食べて、だんらんしましょう。

だんらんキッチンのinformation