首都圏に住み、月に1〜2回のペースで山梨と往復する生活を送るライター清水が、新宿から特急で韮崎へ向かう車窓からの景色に湧く心情を改めて言葉にした。
繰り返し通い続ける道のりも一度言葉に置き換えてみると、自分なりの心への働きかけがあることに気づくかもしれない。
目次
出発に先立って
Route20は、東京と山梨を繋ぐ国道20号線すなわち甲州街道にちなみ、首都圏に住む韮崎出身者の目線から、韮崎に切り込んでいく連載企画(になる予定)だ。
地元の人には日常の中ではなかなか気づかないようなことを、韮崎の外で暮らす人にとっては懐かしさを感じてもらえるような、そんな連載にできたらいいなと思っている。
前振りもなく連載について書き出してしまったのだけれど。まずは、今回記事を担当する僕(=清水元気)についてここで軽く紹介させてもらいたい。
覚えている人がいたら嬉しいのだが、過去ににらレバでこんな寄稿をさせてもらった者だ。
この時、僕は記事の末尾をこんな風に締めくくっていた。
そういった町の興りを外から遠巻きに眺めているのはやっぱり寂しい。
(中略)
僕が相も変わらずひっそりと売り子をやっているか、もっと輪の中にいるのかは自ずと明らかになるはずだ。
この答え合わせになるかはわからないが、2年半前に韮崎市内で仲間たちと共に合同会社Hudanを立ち上げ、コロナ禍の真っ只中ではあるが韮崎中央公園の向かいにParksideParlorIRUをオープンするに至った。
Hudanには今も東京都内に勤めながら複業として携わっており、最低でも月に1度は山梨に帰る2拠点生活を送っている。
サンマ祭りの記事やその後の合同会社Hudanとしての韮崎との関わりもあり、今回企画の立ち上げに当たり編集部から声をかけてもらえたという次第だ。
打診があったのが昨年の夏頃なので、なんだかんだで形になるまで1年近くが経ってしまったのだけれど…。
(その間に、プライベートでは結婚と新卒での入社から10年近く勤めてきた会社からの退職があり、世界に目を向ければロシアがウクライナに侵攻し、資源問題は一層深刻化している。現実というものの大きさに少し目眩がしてくる。)
「もの書きが溢れるこの時代に、赤の他人からすれば何者でもない自分が文章を書くことに意義はあるのだろうか。」
当然そんな葛藤もあったが、書きたいという気持ちが勝った。
それは、僕が言葉の価値を少しだけ人より信じていたからだと思う。一見無価値な言葉にも、救われることがあることを僕は知っている。
「どんなことも思っているだけでは伝わらないし、言葉にすることはただそれだけで価値がある」というのが、30余年という僕の人生の中での気づきである。
そんな偶然の化学反応を、にらレバ読者の皆さんと起こせる可能性に賭けてみたいと思ったのだ。
そうであるならば与えられた機会を逃す手はない。それも、故郷である韮崎を見つめ直す記事を書くというのは、僕自身の内面への冒険でもあると思った。実力は後から追い付いてくればいい。
そうして編集部との喧々諤々の議論を経て(あるいは半日くらい和気藹々と話してあっさりと決まったのだったかもしれない)、今のコンセプトと「Route20」という企画名が決まった。
そんな訳で、編集部の思惑に身勝手なライターの動機が乗っかって始まったこの企画である。
僕の拙い文章も皆さんのお茶請けくらいになればこれほど嬉しいことはないと思っているし、できるだけ独りよがりにならないように頑張るつもりなので、少しばかりお付き合い頂けると幸いだ。
※本企画には僕以外のライターも登場する予定なので、清水のことは嫌いでも「Route20」のことは嫌いにならないでください・・・。
韮崎へと続く道
前置きが大変長くなってしまったのだが、そろそろ本題に入ろうと思う。
そんな企画の初回ということで、どんなテーマを取り上げようかとあれこれ思案した結果が「甲斐路」である。
「いや、企画名の国道20号を言い換えただけじゃないか」というツッコミも入りそうだけれど、ここでいう甲斐路は中央線の「特急かいじ」を指している。
都内から韮崎への交通手段として高速バスを利用する人も多いと思うのだが、僕は移動のタイミングがどうしても土日になってしまうため、渋滞リスクのあるバスよりも時間を読みやすい電車を利用するようにしている。
そんな特急を始発の新宿から韮崎まで向かう道中の景色を眺めながら、道中どんなことを考えているか一度書き起こしてみよう、というのが今回の趣旨という訳だ。
何度となく通った道のりだが、毎回韮崎に近づいていく2時間を通じて少しずつ心構えというのだろうか。少し大仰な例えだがヒマラヤ登山における高地順応のように、都会から地方への順応のプロセスを踏んでいる気がしている。
…ちょっと大仰が過ぎるかも知れない。
そんな自分の心の変化があったりなかったりすることを、書き出すことで整理できたらと思っている。
ここから先は、実際の道中を時系列に沿って振り返っていきたい。
Part1:新宿から県を跨いで
5月25日(水)天候は晴れ時々曇り
少し夏らしい陽気も増えてきたが、まだ涼しげな風の吹く最高に気持ちのいい季節だ。
この日は前日に退職が決まっていた前職の最後の出社日を終え開放感に満ちた・・・と言いたいところだがHudanやIRUの仕事は山積みで、休む間も無く打ち合わせと期限の迫る事務作業のために弾丸で韮崎へ向かった。
[AM8:00]
早朝、住まいの船橋から総武線で新宿駅まで移動し、8時ちょうどのあずさ5号(ちゃんとストーリーも考えて決めたテーマだったのに早速「かいじ」じゃなくなってしまった。なお、聞いた話だと8時ちょうどのあずさ2号は今は無いらしい。)に乗り込む。
僕は進行方向に向かって左側の座席を取ることが多い。高尾から先、山あいの区間は左流れの斜面に沿って線路が走っているため、左側の方が視界が広いことが理由だ。晴れている時は富士山も左手に見える。
新宿の町並みは雑多だが、テレビや映画で観たあの景色に自分も溶け込んでいるのだという不思議な感慨が湧く。
[AM8:30]
立川を過ぎたあたりから背の高い建物が影を潜め、視界がひらけてくる。遠くに微かに見えるのは神奈川県の丹沢山地の山並みか。
火山帯である日本は中央に進むほど山なりな地形になる。単純だが山が見えてくると日本の中心に向かっていくような気分になるのは僕だけだろうか。
さらに進み八王子まで来ると、建物と建物の間に緑が一気に増えてくるが、まだ駅周辺には都会の賑やかさがある。八王子駅自体はだいぶ年季がはいっているが、駅周辺は再開発が進み高層のビルが並び建っている。何度見ても、この駅に迫ってくるビルの違和感は拭えないままだ。
高尾から先は一気に山に入っていく。建物が鳴りを潜める代わりに山肌が迫り、ヒトと自然との境目を意識してしまう。
トンネルに対して、手前の世界と向こうの世界を隔てる境界のイメージを抱いてしまうのは川端康成の影響によるところが大きいだろうか。あるいは人の世界から自然が主導権を持つ世界へ踏み込むことで、流れる時間感覚が変わるということかも知れない。
ともかくこの辺りでグッと違う場所に飛び込んでいくような心持ちが強まる。なんだかSF映画でワープゾーンを抜けるような、そんな感覚になるのだ。
Part2:甲府盆地を抜けて韮崎へ
[AM9:00]
勝沼ぶどう郷を通過する頃に、甲府盆地が一気に目に飛び込んでくる。
四方を山に囲まれながらも中心地は平坦に広がる様を見ていると、天然の防壁に守られた国だということがよくわかる。通信技術もない時代には、外界との交流や戦をどんな視点から動かしていたのだろうか。
ここから大きく左にカーブして塩山駅に向かうのだが、塩山駅の北側あたりに位置しているであろうこんもりと丸い小山が目に留まる。
周りが比較的平坦な中に唐突に現れるこの山は、さながらドラえもんの世界の裏山のように作為的でいつも不思議な感覚になる。
調べたところ塩ノ山という山らしく、塩山の地名もこの山からきているとのことだった。
もしかしたら地元ではものすごく当たり前のことを今まで知らなかっただけなのではないかと急に不安になってきた。
特に地名のように、その名であることが当たり前のものに後から疑問を持つことは難しい。聞けばあっけなく納得できるようなことでも、そこに考えが及ばないまま日々素通りしていることが沢山あるのだなと痛感する。
塩ノ山はただそこに佇むばかりだ。
[AM9:30]
甲府駅に到着。時間にすれば1時間半程度だが、いつもそれなりの疲労感がある。
蛇行することに依る揺れのせいだろうが、旧型のスーパーあずさから考えたら格段に改善した乗り心地がなければ、頻繁に韮崎に帰る必要があるような事業を興そうなどと考えなかったかも知れない。
短い乗り換え時間に間に合わせるため、小走りで小淵沢行きの各駅停車に乗り換える。
高校時代まではボックス席が主流だった僕にとっては、横一列のシートは中央本線らしくない感じがしていまだに少しよそよそしい気分になってしまう。
[AM9:45]
2つの駅と2つのトンネルを抜けて、韮崎駅に辿り着いた。
過去にはこの先へ向かう列車はここでスイッチバックをして、七里岩台地を駆け上がっていった。銀河鉄道にも見立てられるように、ここから高度を上げていく中央本線を平和観音が見守っている。
旅の終着を迎えて
以上が、おおよそ車窓を眺めながらいつも思考していることを今一度振り返りながら書き出して見た内容だ。もちろんその時々で考えていることは違うが、風景から想起されることは大体こんな感じである。
果たして結局、僕は何を書きたかったのだろうか。
書いてしまってから振り返ると取り止めのない文章になってしまっていて、思いの外、思考には脈絡がなく、ただただ意識が向くものに対して色々と雑想を巡らせていただけだったことを思い知らされる。
黙々と物思いに耽る時、人の脳は一意に考え続けているようでいて、実際には一貫した論理的な思考を展開していないとも言われている。論理的な思考とは、後追いで脳がこじつけているに過ぎないとも。
そういった意味で、今回書き起こすという行為を経て初めて表出した思考もあったのだろう。そんなプリズムのような思考の断片を今回切り取れたと考えれば、多少の意義はあっただろうか。
本稿が、都内から山梨への電車での帰省という同じ窓からの視界を通じて、誰かにとっては共感を、誰かにとっては思案のきっかけを生み出すことがあれば幸いだ。
ともかく無事辿り着いた韮崎。次は、この町の中でどんなものを見つけられるのだろうか…。