韮崎市の氏神として「かわらべさん」の愛称で親しまれる若宮八幡宮では、2022年7月30日〜31日の2日間に渡り「例大祭」が開催されます。
韮崎駅から若宮八幡宮までの若宮通りに多くの露店が立ち並び、茅の輪くぐりの神事や御神楽の奉納などが行われるこのお祭は「韮崎の夏の風物詩」として、長年地域の人々に親しまれてきました。
一昨年・昨年は、新型コロナウイルスの感染・拡大防止のため、式典のみの開催となりましたが、今年は“3年ぶり”に出店も並び、以前のような賑わいをみせるお祭りとして復活するようです。
「せっかく例大祭が復活するのなら、若宮八幡宮や例大祭のことについてもっと知りたい!そうしたら、いつもより更にお祭りを楽しめるのでは?」
そう思った筆者は、一足早く若宮八幡宮にお邪魔し禰宜の藤原永起さんにお話を伺ったところ、神社の歴史や例大祭で行われる神事の意味など、面白いお話をたくさん聞くことができました。
例大祭へお出かけの前にこの記事をご覧いただけたら、いつも以上に例大祭を楽しめちゃうこと間違いなしです!
目次
禰宜の藤原さんが若宮八幡宮の歴史を解説!
今回お話を伺ったのは、若宮八幡宮の禰宜(ねぎ)である藤原永起さん。
若宮八幡宮の長い歴史の中で藤原さんが何代目にあたるのか気になるところですが、神主の家系図は残されておらず、何代目なのか定かではないそうです。ただし、「藤原家が長く続いてきた社家だということは間違いない」と話してくれました。
藤原さん「もともと藤原家は鎌倉からきた武士の流れを汲む神主でした。その頃から現在まで長年続いている社家なのです。世襲制度が廃止された現代では、このように長く続いている社家はめずらしいと思います。私も責務を果たす思いで、常にまちの人々の幸せを祈りながら、日々神明奉仕に励んでいます」
一昨年・昨年の例大祭は式典のみ執り行われたため、地域の人々は「例大祭で若宮通りがにぎわう様子を見ないと、夏が始まった感じがしないよね」と口惜しがっていました。
子どもたちが夏休みに入ってすぐの7月末に毎年開催され、夏のはじまりを実感しワクワクとした気持ちになることができる「若宮八幡宮の例大祭」は、地域にとって大切なイベントなのです。
「せっかく3年ぶりに通常開催されるのならば、より深く例大祭を味わいたい!」
そんな想いを藤原さんに伝えたところ、若宮八幡宮の歴史や例大祭を楽しむポイントを教えてくれたので、ご紹介したいと思います。
平安時代から続く「若宮八幡宮」の歴史
神社について知っていることが多ければ多いほど、足を運んだ際に感じとる情報の深さも変わってくるのではないでしょうか。そこでまずは、若宮八幡宮の歴史について聞きました。
藤原さん「古記録(棟札)によると、若宮八幡宮は、885年〜889年(仁和年間)の創建と伝えられています。もとは七里岩の上に鎮座されていましたが、1583年(天正11)に暴風雨による山崩れで社殿が倒壊したため、翌々年に現在の位置に再建されました。
若宮八幡宮の辺りは、『旧・河原部村(かわらべむら)』といい、その昔は甲州街道の宿駅で物流取引の中継地点としてにぎわっていました。また、将軍家御用達の宇治茶を送る御茶壺道中、徳川一橋家の御陣屋もおかれ、参勤交代による諸大名の通行など、この地方の政治、経済、文化の中心地だったようです。
若宮八幡宮は、河原部村を守る氏神様として、長い間まちの人々の信仰を集めてきたのです」
一般的に神社というものは、稲の豊作を願ったり、雨乞いをしたり…自然への畏敬の念を持って祈りと感謝を捧げる場としてはじまったとされています。
平安時代の人々が神様に祈りを捧げる場をこの地につくり、そこから続く長い歴史の延長線上に自分たちがいると思うと、なんだか不思議で感慨深いものがあります。
ちなみに、例大祭は神社の創建と深い関わりのある神事です。そう考えると、若宮八幡宮の例大祭も、形を変えながら1100年以上も続いてきたということになります。
“かわらべさん”という愛称で親しまれてきた理由
若宮八幡宮は、旧河原部村地域に住んでいる人のみならず、他の地域に住んでいる人々にも「かわらべさん」という愛称で親しまれてきました。なぜ、若宮八幡宮は多くの人々の信仰を集めることができたのでしょうか?
藤原さん「5代前のご先祖である腰巻(旧姓)豊丸さんという方が、困りごとを解決してくれる存在として地域の人々に慕われていたと聞いています。相談事に耳を傾けるのはもちろん、整骨のようなことも得意としており、子どもの肩が外れたのを直してあげたり、調子が悪いと訴える人の身体を診てあげたりしていました。そしてまちの人々が、『困ったら河原部村の腰巻さんのところへ行け』と口にするようになり、それが徐々に『かわらべさんのところへ…』となっていったようです。そのくらい、若宮八幡宮は昔から地域と密接した神社だったのです」
人々の祈りの場としてつくられた神社に親しみやすい神主さんがいたことで、若宮八幡宮はより地域の人々にとって身近で大切な場所となったのでしょう。
跡を継いでいる藤原さんもとっても親しみやすく、まちを良くする方法を常に考えているアイディアマン。ご先祖さまの想いがしっかりと受け継がれているのを感じます。
例大祭を楽しむために知っておきたい3つのこと
若宮八幡宮がどのような神社なのか掴めてきたところで、いよいよ例大祭の催しについて深掘りしていこうと思います。まずは、鳥居の前に設置された大きな輪をくぐる「茅の輪(ちのわ)くぐり」について。
その1:無病息災を祈る「茅の輪くぐり」の神事
「茅の輪くぐり」は、茅と菖蒲の葉で編まれた大きな輪をくぐることで、心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願することができるとされています。例大祭の際はくぐり方の解説図も設置されるので、その手順に従って8の字を描きながらくるくると輪のまわりをまわったことがあるという人も多いのではないでしょうか。
一般的には、年2回の大祓(6月末の「夏越の祓」と12月末の「年越の祓」)で茅の輪くぐりが行われます。若宮八幡宮では6月末ではなく7月末の例大祭に茅の輪くぐりが行われ、特殊神事「かわらべさんのていねっこぐり」として親しまれています。
なぜ、茅の輪をくぐることが無病息災を祈ることにつながるの?
藤原さんによると、茅の輪くぐりは「蘇民将来伝説」という日本神話に基づいているそうです。教えていただいたお話を簡単にまとめると、以下のようになります。(より詳しく知りたい方は「蘇民将来伝説」と、ネット検索してみてください。)
昔、須佐雄神(スサノオノミコト)が旅の途中で辿り着いた村で、一夜の宿を乞いました。巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福にもかかわらず宿を貸そうともしませんでしたが、その兄である蘇民将来(そみんしょうらい)は、貧しいながらも手厚く旅人をもてなしました。須佐雄神はもてなしの御礼として、蘇民将来に災厄を祓う茅の輪を授けました。蘇民将来は、須佐雄神の教えに従い茅の輪を腰に付けていたことにより、村に流行った疫病から逃れることができ、子々孫々まで繁栄しました。一方、須佐雄神を泊めてやらなかった巨旦将来は、一家全員亡くなってしまいました。
それ以来、村人たちは疫病が流行すると「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と唱え、腰には茅の輪を巻いて、疫病の難を逃れたということです。
藤原さん「蘇民将来伝説では、『茅の輪』が災厄除けの重要なアイテムとされています。
茅の輪をつくる葉は茅と菖蒲です。茅の葉は剣のように鋭い葉の形で魔を退け、菖蒲の葉は独特な匂いで魔を遠ざけるといわれています。
神道的な考え方では、生活していると知らない間に罪や穢れ(けがれ)が生じるため、半年に一度の大祓で茅の輪をくぐり、悪いものを祓って新しく生まれ変わることで、常に正常な状態を保っていけるとされているのです」
その2:地元の神楽団による神楽の奉納
もう一つ、例大祭の催しでチェックしておきたいのが、地元神楽団による神楽の奉納です。神様に感謝の気持ちを伝え喜んでもらうことで、より地域の人々の祈りに応えてくれるとされています。
藤原さんによると、過疎高齢化が進んでいる現代に地元の神楽団を維持できていることは、とても喜ばしいことなのだそう。
藤原さん「昭和53年頃に地元の方々が『自分たちで神様に御神楽を奉納したい』と声をあげてくださり、若宮八幡宮の神楽団が発足されました。現在は20代〜80代まで約20名のメンバーで構成されています。時代の変化で神楽の保存維持が困難になっている状況の中で、こうして地域の神楽団による奉納が継続できているのは本当にありがたいことだと思います。団長をはじめ団員同士がとても仲良く活動しており、発足当初のメンバーも元気に神楽をたのしみ、後輩の育成にも力を注いでいる姿は非常に素敵なことだと思います。
例大祭の約1ヶ月ほど前から、神楽殿では毎晩稽古が行われます。地元の方は夜になると聴こえてくる笛や太鼓の音に耳を澄ませ、『今年もこの季節が来たね』と夏の訪れを喜んでいるそうですよ」
例大祭は地域の人々に支えられ、地域の人々は例大祭によって心の結びつきを深める…。例大祭という存在が担っている役割は、とても大きいのだと知りました。
地域を代表して神様に神楽を奉納されている神楽団のみなさんの想いを感じながら、例大祭で披露される神楽を楽しんでみてはいかがでしょう。
大和神楽のストーリーは?
若宮八幡宮の神楽団が演じているのは、最も有名な「大和神楽」という神楽。「天岩戸(あまのいわと)神話」という日本神話を表現した舞となっているそうで、藤原さんはそのストーリーについて詳しく教えてくれました。
神々の時代、空の上に天高原(たかまがはら)という神々の世界があり、太陽の神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)様や弟の須佐之男(すさのをのみこと)様、その他多くの神々が暮らしていました。
須佐之男様は大変な暴れん坊であり、ある日、女性たちが機織りをしている部屋に馬の首を切って皮を剥いだものを投げ込むという悪戯をし、機織りをしていた女性の一人があまりにもそれに驚いたことで命を落としてしまいました。
それを知った姉の神天照大御神様は大変腹を立て、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れてしまいました。太陽の神様が隠れてしまったことで、世の中は真っ暗になり、食べ物が育たなくなったり、病気が流行したりと大変なことが次々と起こります。
困り果てた神々は、「なんとかして天照大御神様に出てきてもらおう」と相談し、さまざまな策を講じます。その一つとして、「天鈿女命(あめのうずのみこと)様に招霊(おがたま)の木の枝を手に持ち舞ってもらい、そのまわりで太鼓や笛を鳴らしてにぎやかにすれば、外の様子が気になった天照大御神様が顔を覗かせるのではないか」という案が生まれます。
神々みんなで天岩戸の前でどんちゃんさわぎを行ったところ、策が功を成し、天照大御神様が外の様子を覗こうとして扉を少し開けました。そこで力持ちの手力男命(たぢからをのみこと)様が岩の扉を開け放ち、天照大御神様に外に出て頂くことができたのです。
そして、世の中が再び明るく平和な時代に戻ったと言われています。
諸説ありますが、天岩戸神話の大枠は、このようなストーリーのようです。
演じられている舞の内容を知った上で神楽を見ると、「今はあのシーンを演じているのかな?」「この動きはあの感情を表現しているに違いない!」などと、これまでと見方が変わり、更に楽しめるような気がします。筆者も今年の例大祭では、神楽をじっくりと鑑賞してみたいと思います。
その3:参拝記念におすすめの「イベルメクチン御守」
若宮八幡宮へ参拝に来た記念に何か買って帰りたいという人には、「イベルメクチン御守」がオススメ。
このお守りは、韮崎出身の大村智博士のノーベル医学生理学賞受賞を寿ぎ、イベルメクチンの構造式の模様を配してつくられたそうです。
藤原さん「毎年この地域で大村博士のノーベル賞受賞を誰もが願っていたので、受賞が決まった際には心からうれしく感じました。大村先生の功績を称えて考案したのが、イベルメクチンの化学式を配した御守です。」
イベルメクチン御守は大きな反響を呼び、御守を求めて全国から多くの人が若宮八幡宮を訪れるそうです。学業成就をはじめ、仕事、健康の御守としてもご利益があるそうなので、ぜひ手に取ってみてください。
よりみちのかえりみち
これまで何度も若宮八幡宮の例大祭に足を運んできましたが、改めて藤原さんにお話を伺ったことで、知らないことが多くあったということに気が付きました。おそらくここに書いたこと以外にも、若宮八幡宮や例大祭の魅力は、まだまだたくさんあるのだと思います。
韮崎出身の方にとって、例大祭は「プチ同窓会」のようでもあり、歩いていると多くの友人に会える!という楽しみもあると思います。そうした韮崎の夏ならではの楽しみが戻ってきた喜びを胸に、ぜひご家族や友人を誘って例大祭へお出かけください。
若宮八幡宮の例大祭の基本情報
例大祭の詳細はこちらのチラシをご確認ください。