富士山は初冠雪を迎え、山梨にもいよいよ寒さがやってきた。
春にやってきた頃とは装いも異なり、韮崎駅前ではイルミネーションも華やかに着飾っている。都会に住んでいた頃より自然の変化に気付きやすいもので、山々が黄や朱に色づいていく姿はどれも美しかった。
先日、寒さが迫る秋の終わりに、韮崎中央公園へ散歩に行ったときのこと。ベンチに座って本を読んでいたとき、ふと目に止まったカツラやカエデの紅葉する姿に惚れ惚れして、写真を撮ったことがあった。
撮った写真をインスタグラムでシェアすると様々な反応があり、意外と身近に地域の魅力はたくさん潜んでいるのだと気がついた。
どんなまちの風景でも、写真として切り取ってみると案外、面白いのかもしれない。
目次
OSANPO MAPを作る経緯
山梨にやってきて様々な企画を進めてきたが、その中のひとつとしてOSANPO MAPの制作もおこなった。
OSANPO MAPは、韮崎の中でも河原部という、駅前周辺のエリアを中心に、地域の観光案内やお店の紹介をしているもの。
併せて、アメリカヤの前にはOSANPO MAPと連動した大きな看板を設置し、初めてこのまちにやってきた人でも、ひと目で周辺のお店などがわかるようにもした。
もともと、「韮崎のまちをもっと歩き回ってみてほしい」という想いから制作に至ったこの企画は、いまでは多くの場所で取り扱っていただける人気のマップとなっている。
韮崎は、駅から歩いて行ける距離にたくさんのお店が並ぶコンパクトなまちなので、車移動だけでなく、まちを歩く人も多い。だから、県外から訪れる人はもちろんのこと、地域の人にとってもマップを必要とする人は多かったのかもしれない。
もともとあった、マップ片手にまちを歩いて欲しいという想いに加え、歩いている中で気づく、身近に潜んでいるまちの魅力をみんなでシェアできる機会があればまちの発信にもつながるのではないかと考えて、まち歩きと写真を掛け合わせたイベントを開催することにした。
まちの散策と発信をするツール
イベントではまち歩きをしながら写真を撮ることをメインに、まずは写真についてより深く知識を身につけてもらうための、写真講座も一緒に開催することにした。講師には、韮崎と東京の二拠点で活動を行う写真家・Iris Takuboさんをお招きすることに。
講座ではカメラの基本的な知識を中心に、Irisさんが見てきた風景、撮ってきた写真の数々を紹介しながら、地域の魅力についてもお話をいただいた。
光を捉える方法や、構図の使い方など、初心者でもわかりやすく、参加者は自分のカメラを片手に真剣な眼差しを向けていた。中には、カメラを買ったはいいものの使いこなせていなかった人や、親子でスマホを片手に参加してくださっている方も。
1時間程度の講座を終えてから、いま習ったことを踏まえて、それぞれがまちなか散策を開始。周辺の神社やアメリカヤ街道など、普段では出歩かない場所に行って写真を撮る人も多かった。
戻ってきてからは、撮ってきた写真をみんなでシェア。それぞれが切り取った風景、角度、表情などは全くことなっていて、人それぞれでまちの魅力だと思う部分が大きく異なっていることにとても驚いた。
そこには、僕もまだまだ知らない韮崎の風景があって、ときに笑い声があがったり、「おぉ」という感嘆の声が漏れたり、写真をみんなでシェアする時間はとても楽しかった。
カメラを持つと不思議と体は軽くなって、普段では出歩かない場所に行くようになり、自分からまちのいいところを探そうと歩き出す。それは、日ごろ意識の向かない風景に気づいたり、新しいまちの魅力を知るいいきっかけになったりする。そうしたカメラの面白さは、地域のことを発信する上でも、とても大切なツールになると思う。
地域をより深く知っていくことと、地域の魅力を発信することは、どちらも大切だからこそ、今回まち歩きと写真を合わせたイベントを開催できて良かった。とても反響があったので、また次回も開催できたら嬉しい。
終わりに
今回の連載で、「暮らしと生きる」はひとまず終わりを迎えます。これまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
このタイトルにある、「暮らし」と「生きる」という言葉の違いについて、きちんと触れたかったなあという思いがありますので、ここで少し。
僕の思う「生きる」とは少し迫真性があって、必死さがどことなく垣間見えます。それは、僕が都会で生きてきたものと同じで、仕事に追われ、生きるためにお金を稼がなければならなかった日々と重ねて捉えていました。
一方で「暮らし」とは、もっと丁寧で豊かなもの。コンビニ弁当ばかりの毎日では「生きている」ことはできますが、「暮らしている」と言うには難しく感じていました。山梨に来てからはお弁当を作るようになって、仕事前の朝のひと時も余裕を持って過ごせています。
この「暮らし」と「生きる」が結びついたとき、自分のなかで腹落ちする形で生活ができるのではないかと思い、山梨への移住体験から、この連載記事のなかで少しでもそうした一面を見せることができたらいいなと思っていました。
つまり、「暮らしと生きる」というひとつの言葉として、「と」は「and」ではなく、「with」という意味を持った側面が届けられたらいいなあなんて、難しいことを考えておりました。
拙い部分も多くありましたが、最後まで読んでくださる方がいらっしゃれば、何より嬉しい限りです。これからも活動は続け、どこかで発信も行いますので、今後とも温かく見守っていただけると嬉しいです。その他のにらレバ記事もどうぞよろしくお願いします。