韮崎バックグラウンドミュージック|清水元気「Route20」#2

首都圏に住み、月に1〜2回のペースで山梨と往復する生活を送るライター清水が、思いつきで書く韮崎にまつわるあれやこれや。

第2回では、韮崎の街と自身の音楽体験とを重ね合わせつつ、いつもの韮崎に少し違った視点と彩りを添えていきたい。

イントロ~この半年の話~

前回の投稿からずいぶん間が空いてしまった。

もちろんその言い訳では断じてないのだけれど、半年もあれば本当に色々なことがあるもので、近況報告だけで連載1回分使えてしまいそうな勢いである。

そうは言ってもニーズのない無名の個人の近況に紙面を割くわけにもいかないので、ここでは箇条書きに留めたい。少し本編でも言及する部分もあるが、気になれば何かの折に聞いてもらえればと思う。

株式会社ヤマップへ転職
→ 半年経過した頃に受けたインタビュー記事のサムネイルでルー大柴さんと並ぶ。

ParksideParlor IRU閉店
・ 店長を務めた弟は両親と共に本町で新たにワインバーKotiをオープン。
・スタッフもそれぞれの道へ。

ブルースロックバンドに新加入
・ちょっとだけ年上のメンバー揃い。
・横浜の怪しい中華料理屋兼ライブハウスで華々しい初ライブを果たす。

埼玉への転居が確定する

体重が急激に増える

たかが人一人の半年でこれだけ色々なイベントが発生するのだから、人生というのはつくづく遠大なものだと思う。他人からすればなんということはないかもしれないが、当の本人にとっては毎月、毎年が…

いや、毎日がドラマだ。

今回はそんな、誰もが1度は主演を務める「人生というドラマ」を彩る大事な演出について…そう、音楽の話をしたいと思う。

 

僕らと街と音楽

何気ない日常をドラマにする音

突然ではあるが、Get Wild退勤という言葉をご存知だろうか?

2020年9月にTwitter上に現れた1つの投稿が話題になり、一時トレンドとなったムーブメント(?)である。

要するに、退勤と同時に往年の人気アニメの主題歌である「Get Wild」が流れ出すことで、あたかも困難なミッションをこなし颯爽と去るアニメの主人公になったような高揚感を味わえるというものだ。

イヤホンから流れる音楽に一人で酔いしれたり、好きな曲のオリジナルPVを妄想したり、こんな経験は誰でも1度はあると思うのだが(...あるよね?)、そんなちょっと恥ずかしいあるあるをユーモラスかつ肯定的に表現していて、なかなか秀逸である。

シティーハンターがピンと来る世代でなければ(現に僕もそうだが)、BGMを自身の思い入れのある作品とその主題歌に置き換えたっていい。

現にTwitter上では人それぞれの「Get Wild退勤」が語られ大いに盛り上がった。

音楽というものをとても独りよがりに、そして自由に捉えるこのトレンドは、日常を楽しむTips(ちょっとした秘訣)として、とても素敵な事象だったなと思っている。

 

僕らと音楽

スタジオ練習中の筆者

当たり前のことだが、僕ら一人一人もまた自分たちの物語を生きている。

劇的な人生だと思っている人もいれば、代わり映えしない毎日を送っていると感じている人もいるだろう。

先の「Get Wild退勤」のように、音楽にはそんな一人一人の日々をドラマへと仕立て上げてくれる力があるように感じている。

どんな風に人生に向き合う人であっても、ふとした時に思い起こされ脳内に響き渡る音があるのではないだろうか。

ある焚き火と音楽の夜

音楽を聴くという行為は、とても主観的な行為である。

たとえ同じ曲を聴いていたとしても、その人の過ごしてきた背景や思想信条、持っている教養によって全く違う聴こえ方をしているはずだ。これは何も音楽に限った話ではないかもしれないが…。

個人の内面に深く食い込むほど、音楽は僕らの物語に一層深く繋がっていくものではないだろうか。

 

街と音楽

翻って、街にも街の物語がある。

もちろん街が意識を持って動き出すわけではないが、人や自然の動き、それらが交わりあって街としての意思を持ち、その街が持つ歴史や佇まい、流れる時間によって固有の世界が生まれる。

韮崎にもそんな街としての意思があるように思えるし、その物語は僕らの足元でゆっくりと進行しているような感覚がある。

街にもその物語を照らす音楽を添えることで、よりその輪郭を浮かび上がらせることができそうではないか?

そんなわけで僕らの街「韮崎」にも、その場所その場所の雰囲気を浮き彫りにし、より感じさせるようなBGMを考えてみたら面白いのではないかというのが今回の本題である。

世に無限に溢れる音楽の中で、一握りしか聴けていない一個人の貧相なライブラリからプレイリストの一部を披露されても、首をかしげる人ばかりであろうこともわかっている...。

正直いうと、僕の趣味嗜好であったり、人によく見られたい自尊心が透けて見えたり(?)と、ちょっぴり恥ずかしい企画だったな…とここまで書き進めて少しくらいは後悔している。けれど、せっかく温めてきた回なのでこのまま突き進みたい。

ここで誤解がないようにしておきたいのだが、この記事は「この場所はこの曲のイメージだよね」と決めつけたいわけではない。

「この曲を選んでみた」という僕なりのイメージ(BGM)を共有して、皆さんにも「自分だったらこうかも・・・」と考えてもらえたら…というただの思いつきである。

何なら暇人がやることなので別にやらなくたっていい。ただ、誰かの頭の中で流れているメロディBGMを通じて韮崎の情景を共有することで、街の新たな一面に気づいたり、より親しみを持てたり…そんな心地の良い「反応」が生まれたらいいなと思っている。

 

韮崎バックグランドミュージック

韮崎の夏

例えばこんなシーンを考えてみる。

韮崎の夏は日本に暮らす大多数の人が想起するようないわゆる"田舎の夏"だと思っている。

富士山↔︎八ヶ岳に向かって突き抜ける農道の脇に連綿と続く田んぼであったり、格好の沢ガニやザリガニ獲りスポットである神社の池であったり。少し足を伸ばせば明野のひまわり畑もある。

実に安直だけれど、久石譲の「Summer」を聴いていつも思い浮かぶのは、そんな小学生の頃に遊びまわった韮崎のあの場所、その場所だ。

 

こんな風に素敵な音楽と自分たちの街を重ね合わせると、普段とは違うストーリー性が生まれ、僕らの街も一層素敵に見えてこないだろうか。

あるいは韮崎でひときわ存在感を放つ平和観音。

例えば平和観音を眺めながら水木一郎のアニメ・特撮ソングを聴いたら、それはそれで観音様に何かとてつもないことが起こりそうな気がしてくる。

手前に人が立つとその巨大さが際立つ

絶対正解ではないけど、それはそれでなんかいい。

好き勝手に妄想を膨らませることで、韮崎中に物語が生まれてくる予感がしてくる。

 

「ParksideParlor IRU」あるいは中央公園

一気に個人的なテーマ設定となるが、10月で惜しまれながらも閉店となったIRUについて取り上げたい。

実は個人的に構想段階からIRUには自分なりにイメージを重ねている曲があった。Chicagoの「Saturday in the Park」だ。

 

僕自身、中央公園には幼少期に遊んだ記憶を色濃く残している。頭にはずっと「公園で過ごす土曜日」のイメージがあった。

その傍でお店をオープンするということは、公園での休日をより彩り豊かにするということ。韮崎の人々にとって、この場所での記憶が思い出として世代を超えて受け継がれていくような場所を目指していた。

IRUの店内で流れていたBGMプレイリストも上記をはじめ、聴いたことがあるけど曲名までは知らない、けど聴くと懐かしい気持ちになる…そんな風に感じてもらえるような往年の名曲をベースにまとめた。

Spotifyのプレイリストは公開したまま残っているので、是非聴いて懐かしんでもらえたら嬉しい。

最終的には閉店という結末を迎えたが、親と子が集い、心地よく過ごし、子が育った時にはIRUで過ごした時間が大切な思い出になっている。

そんな思い描いていた景色やその予感は、オープン当初から最終日まで、出会ったお客さんとの交流を通してたくさん見させていただいた。

中央公園は、きっとこれからも誰かにとっての「休日の思い出」を生み出し続けていくのだろう。

 

ワインバー&ダイニング「Koti」

次の舞台は、IRUの閉店と共に弟である清水亮介と両親が新しく始めたワインバー&ダイニング「Koti」

ここは、IRUと比べて、より大人の雰囲気が漂う店舗だ。もともとアルコールと食事のペアリングもあれこれと考えていた弟。

立地的にアルコールの提供が難しかったIRUの時とはまた違った料理の提供に日々奮闘しているようだ。

そんな落ち着いた時間を過ごしたい夜には、お酒のお供にAOR(Adult-Oriented Rock)がしっくりくる。

 

韮崎にもここ数年で本当に素敵な飲食店が増えた。その時その時で自分が過ごしたい時間にマッチするお店の選択肢があるというのは本当に幸福なことだと思う。

僕は深夜のファミレスも好きだが、賑やかな居酒屋でフランクに店員さんとコミュニケーションがとれたり、カウンターでお店の人と語れたりするような時間もまた大切な時間だ。

 

オールスーパー黄昏タイム

「オールスーパー黄昏タイム」

以前本誌の「リレー記事Vol.001『ニシダハルカと韮崎と未来』」を読んでとても良いなと思った言葉だ。

東京のような平野に住むとよくわかるのだが、韮崎の日没は南アルプスの稜線に沿って始まるので、場所場所でタイミングが結構違う。そして南アルプスとの標高差で日が沈むタイミングも早い。

なので同じ市内でも様々な夕暮れがあり、そして黄昏時が他の街よりも長い感覚がある。

韮崎の核心はこのオールスーパー黄昏タイムではないだろうか。

そんな韮崎に育ったためか、あるいはもともとの気質かもしれないが、少し切なさを伴って心がすっと落ち着いてくる、そんな日が沈む頃の空気が僕はたまらなく好きだ。

ちなみに田我流は一宮出身のアーティストで、『ゆれる』は塩山駅をはじめ山梨を中心に撮影されたPVだ。場所は違うが同じ山梨の黄昏時を見てきた彼の紡ぐリリックも是非意識してほしい。

 

これからも日常に音楽を

いかがだっただろうか?

今回の記事は個人の経験に依存するものなので、あんまり共感してもらえる内容じゃなかったのではないかとも思う・・・。

それでも「これはこれでありだよね」くらいに思ってもらえていたら、ちょっぴり嬉しい。

背景に音楽があろうがなかろうが僕らの生活は続くが、そんな日常も少し脳内でドラマ仕立てに盛り上げてみると、きっとより愛着が湧くはず。

それに韮崎の適度な街感と田舎感は、案外そのままでもいい味わいを出しているので、比較的どんな曲もハマってしまうような気がしている。

せっかくなので最後も曲で締めくくりたいと思う。

ceroは、街での日常の中のささやかなドラマを「街の報せ」の中で"誰にも知られない愛おしい一人の夜"と表現した。

今日も韮崎に暮らす僕ら一人一人に、そんな愛おしい一人の夜が訪れることだろう。

それではまたいずれ。