甲斐源氏って知ってる?韮崎が武田の里と呼ばれる理由とは|武田漬 #1

山梨県が誇る名将「武田信玄(信玄公)」が、2021年12月に生誕500周年を迎えました。そして、その息子である武田勝頼もまた、新府城に入城して440年という記念すべき年です。

武田信玄・信虎・勝頼…山梨県で生まれ育った人ならば、一度はその名を耳にしているはず。中でも、武田家最後の城「新府城」がある韮崎市に住んでいる民ならば、是非とも「武田家」のことを知っておきたいところ…。

そこで、にらレバ編集部は、韮崎市民俗資料館に突撃し武田一族について気になるアレコレを聞いてきました。

※武田家のことをまったく知らない記者(松野)が、韮崎市教育委員会・文化財担当の半澤直史さんと、ゆ〜るく武田トークする様子を、数回に分けて不定期でお届けします。

プロローグ

武田家トークに参加していただくのは、韮崎市教育委員会・文化財担当「御三家」の最年少・半澤直史さん。それでは、ゆる〜いトークのはじまりはじまり〜。

松野
武田漬の連載がいよいよスタートしますね。どうぞ、よろしくお願いします。

昨年、信玄公生誕500周年を迎えたということもあり、山梨県全体がざわついていますね。

 

半澤さん
ね〜、ちょっとしたお祭り騒ぎで、研究者界隈もそわそわしています。

 

松野
山梨に住んでいると、信玄公の名をあちこちで見聞きするんですが、教科書レベルの知識しか知らなくて。

これを機に、半澤さんに武田家のイロハを叩き込んでもらいたいな〜と(笑)。

 

半澤さん
お〜プレッシャーかけてきますね(笑)。

 

松野

これは、都内で働いていた時の話なんですけど…

「山梨出身者=信玄公」のイメージが強いのか、歴史好きの人から武田家について熱く語られることも多くて。

正直、まったく話についていけなかったんですよね…

 

半澤さん
あ〜お察しします(笑)。

私も武田家について学び直すいい機会なので、お答えできる範囲で頑張らせていただきます!!

 

松野
ありがとうございます。

韮崎市には、信玄公が建てた武田八幡宮や、勝頼公が築城した新府城がありますよね?

武田家と繋がりの深いまちだと感じているので、その辺りを中心に伺いたいと思っています。

 

半澤さん
それでは、武田一族や勝頼公のことをより身近に感じてもらうためにも…

まずは、武田家大躍進の礎を築いた「武田信玄」という人物についてお話しましょうか。

 

「武田家」はじまりのまち、韮崎

半澤さん
っと、その前に!松野さんって武田家が「源氏の名門」というのは、ご存知ですか?

 

松野
そうなんですか!?詳しく教えてください。

 

半澤さん
武田家は清和源氏の一族「源義光」が祖である、平安末期から続く源氏の名門中の名門

そして、中世は戦も多く滅ぼされた一族が多い中、山梨に土着し「甲斐源氏」という形で生き残ったすごい一族なんです。

そんな伝統的な一族の19代目当主が信玄公です。

 

松野
お〜改めて聞いてみても、すごい一族ですね。

 

半澤さん
じつは、この話からはじめたのには理由があって。

ここ韮崎市は、武田氏の初代当主・武田信義が、神山町に館(現:武田信義館跡)を構えたと伝わる場所

つまり、韮崎市は「武田家発祥の地」なんです

 

松野
すごい!だから、韮崎市は「武田の里」と呼ばれているんですね。

 

半澤さん
そうです。そのほかにも、韮崎市には、武田八幡宮、新府城、白山城、願成寺といった旧蹟が点在しています。

このことからも、韮崎は武田家のルーツを語る上では欠かせない場所といえますね。

ぜひ、にらレバの読者さんにはマストで覚えてもらいたいです。

 

松野
あれ?でも、信玄公が活躍した時代は甲府が拠点でしたよね?

 

半澤さん
お〜、鋭いところを突いてきますね(笑)。

 

山梨を捨てて関西へ雲隠れ!?

半澤さん
そもそも武田一族って一度、甲斐国(山梨)から姿をくらませていた時代があるんですよ〜。

 

松野
…!? 甲斐国で何かあったんですか?

 

半澤さん
室町時代の話なんですが、関東で大きな戦乱が発生しちゃって甲斐国もそれに巻き込まれて…

争いが絶えない場所になってしまったんですよね。

その時代から、武田家は甲斐国の代表的存在でかなりの力を持っていました。

…が、一族が生き残れるか滅びるかの瀬戸際にまで追い込まれてしまいます。

 

松野
止むを得ず、山梨を離れた…と?

 

半澤さん
一族を守るため、名門の血筋を守るため、仕方なく高野山に避難し身を隠した

このニュアンスが1番近いかもしれませんね。

 

松野
でも、最終的には山梨にJターンしてきたんですね。

 

半澤さん
甲斐国に残っていた他の一族から「どうか、戻ってきてほしい」と何度も催促をされていたみたいですよ。

初めのうちは、丁重にお断りしていたようですが(笑)。

 

松野
そんな危険な土地に、そう安安と戻れないですよね。

 

半澤さん
当時の武士は、家名を重んじる文化でしたから。

ましてや武田家は源氏の名門。一族の誇りもあって、意を決して戻ったのかもしれません

 

松野
いずれにせよ、一度山梨を離れていなければ、武田家は歴史に名を残さぬまま滅んでいたかもしれないですね。

 

半澤さん
確かに。もしかしたら、歴史が大きく変わっていたかもしれませんね。

 

「神様を倒した男」戦国時代のキーパーソン

松野
そんな韮崎とゆかりのある武田家ですが、中でも信玄公の功績が目立ちますよね。

半澤さんからみても、やっぱりすごい人物なんですか?

 

半澤さん
かなり、ざっくりした質問ですね(笑)。

当時の時代背景がわかる文献を調べてみましたが、「武田信玄と上杉謙信の兵はピカイチだ」という記述がいくつか見つかりました。

また、かの有名な『長篠の合戦』では、「武田が負けるなんて…そんなの冗談だろう」的な日記を書いている僧侶もいたようです。

 

松野
…戦国時代の流れを紐解いていく上では欠かせない、キーパーソン的な武将だったということでしょうか?

 

半澤さん
とりあえず、戦国時代の重要な局面で必ず出てくる一族であることは間違いないですね。

室町幕府の最後の将軍・足利義昭は、友好関係にあった織田信長と仲違いしたことがあって。その時、味方に頼んだのが信玄公だったんです。

「織田信長に対抗できる力のある武将」として顔が浮かぶ、実力も影響力もある人物だったんでしょうね。

 

松野
おお〜!ほかにも、「すごいぞ、信玄公!」的なエピソードは、ありますか?

 

半澤さん
そうですね。三方ヶ原の戦いで、徳川家康相手に大勝利した時の話なんかは、江戸時代では「神様を倒した男」と語り継がれていたみたいですよ。

 

松野
神様を倒した男ですか…?

 

半澤さん
徳川家康は江戸幕府を造った人」ということで神格化されてきた人ですよ、「神君家康」みたいに。

そんな人物が戦で負けたとなると、江戸時代の人はざわつきますよね。

ドラゴンボールで例えるなら、神様の上に、さらに界王様がいた!って感じですね。

 

松野
それは、ざわつきますね(笑)。

 

半澤さん
これだけでも、武田家がいかに強く勢いのある一族であったのかが見えてくるから面白いですよね。

 

次回予告!

「信玄公って勇猛なイメージが強いじゃないですか?じつは〇〇なんですよね」(半澤さん)


せっかく場が温まってきたところですが、第一夜はここまで。次回からは、いよいよ【エピソード信玄公編】に突入!なかなか触れることのない、信玄公の人間味あふれるお話をお楽しみに。

「武田家についていろいろ聞かせてください!」そんな、ざっくりとした話からスタートしたこの企画。日常の箸休め的存在になれれば幸いです。

 

半澤直史
韮崎市教育委員会・文化財担当

千葉県出身。大正大学大学院で修士号を取得後、縁あって韮崎市で働くことに。戦国無双をはじめとするゲームや漫画などサブカルチャーがきっかけで歴史にハマる。じつは、武田信玄より、上杉謙信のほうが好き。