どこまでも続いているような豊かな自然に囲まれ、ゆったりとした穏やかな時間が流れる、穴山町。そこに、ひっそりと隠れ家のように佇むカフェ『おちゃのじかん』。
風の流れを肌で感じながら、鳥のさえずりや草木の音を楽しめる庭で、地元産の新鮮な食材をふんだんに使った、“安心で身体にやさしい”料理が食べられると評判のお店だ。
今回の韮崎拠点人は、この店のマスターを務め、その柔和な笑顔と心地よいハスキーボイスが魅力の清水俊弘さん。
じつは、おちゃのじかんのマスター以外にも 日本国際ボランティアセンター(以下、JVC)副代表理事、地雷廃絶日本キャンペーン(以下、JCBL)代表理事を務め、山梨では、韮崎市穴山公民館の館長、穴山町まちづくり推進協議会の副会長、と複数の顔を持っていることはご存知だろうか。
生まれも育ちも東京のシティボーイ!?である清水さん。韮崎で見つけた暮らしや、少し先の未来について聞いてみた。
目次
世の中を大きくとらえて、小さく暮らす
穴山町の豊かな自然に魅了され移住
パートナーの由美さんが経営する「おちゃのじかん」は、おいしいご飯はもちろんだが、五感を使って自然を感じられる開放的な庭も人気の一つ。
テーマは、『自然との共存を楽しめる空間』。タイやカンボジアといった海外生活が長かった夫婦だからこそのこだわりだ。
清水:「自然の中にいることを実感できる“外で過ごす心地よさ”を感じられる場所を目指しています。韮崎は、四方をうつくしい山に囲まれていて、自然と共存しているという意識を持ちやすい場所。
緑の濃淡、空の青さ、山のシルエットなど、遠くに見える自然に目をあわせ、リフレッシュする時間が、現代人には必要だと思うんですよね」
清水一家(奥さんと子ども2人の4人家族)が穴山町に移住してきたのは、1997年のこと。もちろん、決め手は「四方に広がる豊かな自然」。由美さんのご両親が先に移住していたことも後押しとなった。
清水:「都会で暮らしていたときに感じたのは“自力で生きているわけじゃない”ということ。きれいな水はどこから来て、僕らの使った汚い水はどこへ行くのか…日本人は表面的にきれいなものを享受しているから、環境循環を意識しないんですよね。
でも、JVC時代に出会ったカンボジアの人たちはそれをよく知っていて、すごく地に足のついた生活をしていたので驚きました」
小さなまちに可能性を感じて
長い海外生活の中で、環境負荷の少ない暮らしを実践することが大切だと再認識した清水さん。「僕の生き方は、"世の中を大きくとらえて、小さく暮らす”ということなんだと思います」と、韮崎を拠点にした理由を語る。
清水:「人間がこのまま安易な消費行動を続けていくと、遠くない将来に地球は破綻してしまうと思うんです。ここまでグローバル化した世界では、安全保障や環境問題、衣食住のすべてにおいて、皆が当事者意識を持ち、物質の循環に負けない想像力や知識の幅を広げる必要があります。
穴山のような小さな集落で、可能な限り資源の域内循環を作り出し、地球環境に負荷をかけない暮らしを実践していく。そして、同じような活動をする地域社会が少しずつでも増えていけば、社会的な歪が是正されていくのではないでしょうか。
韮崎は、このような分散型社会を築くポテンシャルの高いところだと感じています。専業でなくとも、時間を見つけては田畑を耕し、野菜を育て、山林の管理をしたりする地元の人々の暮らしが、じつはすごく価値のあることなのだと思っています」
人生の転機となった「カンボジア」での日々
体育会系男子とJVCとの出会い
古今東西を飛び回り、途上国の支援に心血を注いできた清水さんだが、大学生までは、ハンドボールに没頭する日々を送る、ごく普通の少年だったという。「まさか自分が世界のことを考えるなんて思いもしなかった」と、体育会系男子の面影が残る爽やかな笑顔で語る。
清水さんが、国際人道支援の道に進むと決意をしたのは、80年代の半ば、大学3年生の時だったという。当時、エチオピア、スーダン、ソマリアなど、主に東アフリカ地域では、長い干ばつと戦争により、何万人もの人々が命の危機にさらされていた。
清水:「この痛ましい話は、この地球という星で、今この瞬間に起こっていることなんだよね?って衝撃を受けました。地球という長屋の端に火がついている。他人事には思えず、何か自分にできることはないのだろうか、と危機感が芽生えたんです」
偶然目にした新聞の片隅にあった、JVCの活動を紹介する記事に感銘を受け、その日の内にJVCの事務所に電話をかける。「なんでもいいから働きたい」と直談判。ボランティアとして通う内に「現地に向かい、自分の目で世界の現状を確かめたい」と、この道に進むこと決めた。
「0から国を…」カンボジアで感じた人の力強さ
大学卒業後、小学校の臨時教員として子どもたちと接しながら、英語のトレーニングや国際情勢についての学びを深めた。いわゆるNGO浪人だ。
1年半後、念願叶ってJVCのスタッフとなった清水さんが任されたのは、タイとカンボジアの国境にあったカンボジア難民のキャンプでの職業訓練プロジェクトの調整員。
その後、25年間に渡り、タイ、カンボジア、アフガニスタン、東ティモール、イラク、スーダンなどの紛争地を中心に日本と世界を行き来する生活を送る。
特に印象深かったのは、冷戦の終結に伴い、91年に和平合意が成立したカンボジアの復興に携わった経験だと話す。
当時のカンボジアは、国連による暫定統治のもとで新しい憲法を作り、新しい政府を作るという、まさに"0から国を作り上げる”そんな時代だった。
清水:「カンボジアの人たちは、大虐殺の時代を経て、10年以上にも及ぶ内戦と難民生活を乗り越え、自分たちの新しい生活を再建するために立ち上がった。懸命に一日一日を過ごす彼らの姿は、日本人の僕らなんかよりよっぽど強く、たくましく、とても刺激を受けました」
また、エコサイクルが可能な限り視認できる“環境に負荷をかけない生活”を考えるようになったのも、ちょうどこの頃だという。
清水:「カンボジアの農村できれいな飲み水を確保する活動をしていた時でした。井戸や雨水を飲み水に変え、使用した汚水は畑の野菜作りに活かしていたんです。無駄のない、水の入口と出口が目に見える形で繋がっていることに感銘を受けたんです」
「周辺」から「中心」に
世界と韮崎を繋ぐ架け橋に
「当事者意識を持って生きることが大切」と訴え続けている清水さん。JVCでの活動や経験を通して感じたことを地元の人にも伝えたいと、これまで国際情勢や様々な国の人々の暮らしについて学べる講演会や勉強会を企画してきた。
穴山の公民館にJVCアフガニスタン事務所の現地スタッフを招き「対テロ戦争の実情」についての話が聞ける英語通訳付きの講演会を開いたというから驚きだ。
NGOでの活動や経験を通して、日本では普段意識しない戦争や紛争の実相を肌で感じてきた清水さん。一見どこか遠い場所で起きてるように感じてしまう戦争や紛争の話だが、「じつは自分たちにも深い関係がある」とし、だからこそ、地元の人に伝えたいことがたくさんあるのだそう。
清水:「例えば、私たちが使っている石油の8割以上が中東の湾岸諸国からホルムズ海峡を通って日本にやってきます。湾岸戦争、イラク戦争、パレスチナ問題、イランの核問題などは決して他人ごとではありません。
これらの地域で絶えず紛争が起こり、多くの子どもたちが犠牲になっています。表面的には『テロ対策』という言葉が使われますが、その戦争で傷ついているのは普通の市民です。
こうした国際政治に絡むことも「中央」任せにせず、韮崎でも穴山でも普通に考えなければいけないことなのだと思っています。
世界で起こっていることと僕たちの暮らしがどう繋がっているのかを知り、私たちの便利な暮らしの裏側で起きていることを意識した暮らし方を考えることが、この小さなまちでも必要なのではないでしょうか」
世の中が少し落ち着いてきた頃「アフガニスタンの村人と穴山の人たちが交流できる機会をもっと増やしたい」と、ささやかな願いも語ってくれた。
穴山に「サンマ」を運んだ男
清水さんは、昨年より「韮崎市穴山公民館」の館長も兼務している。じつは、この公民館「多種多様なクリエイティブな企画」が評価され、全国でたった65館だけが選出される、優良公民館として表彰されたホットな場所なのだ。
そんな公民館で、1日で500人が集う人気イベント「穴山町サンマ祭り」を仕掛けたのも清水さんである。この祭りの特徴は、ただサンマを食べるだけのイベントではないところ。
「気仙沼の復興支援」を一番の目的としつつ、「地域の防災意識向上」と「穴山からカルチャーを波及させる」という、2つの効果も考慮している。
清水:「サンマを食べる前に1時間みっちり気仙沼の復興状況を学び、地元で起こりうる災害について考える。ただ、支援するという立場だけで終わるのではなく、参加した人一人ひとりが災害にもっと関心を持って地域の防災意識を高めるきっかけになればと思っています。
後に甲府の市民会館でも「さんま祭り」が開催されましたが、韮崎にある小さなまちから、中心地に向けての流れを作ったいい事例になりました。
僕が、このイベントを通して伝えたかったのは、何処であれ、誰であれ、しっかりと問題意識を持っていればできることはたくさんあるということ。
社会も人の体と同じで、血の巡りが悪いと末端から壊死していきます。末端集落にしっかりと血を巡らせることが、町や市全体を元気にする必須条件です。だから僕は穴山発にこだわるのです」
だから、このまちに決めた
韮崎は“ちょうど良いサイズのまち”であるとした上で、既成概念にとらわれない多様な暮らし方を展開できるのが、このまちの魅力だという。
「最近、若い人たちが新しいお店を始めたり、楽しそうなイベントを企画したり、頑張ってますよね。そんな彼らのエネルギーをもらいながら、おじいさんも、おばあさんも元気に暮らせるまちづくりを考えていきたいですね。そのためにも、世界は平和でなければなりません」と語る清水さんの目は、とても輝いていた。
『世の中を大きくとらえた小さな暮らし』とは、国内外で様々な経験を積んできた清水さんだからこそ見つけた韮崎での暮らし方なのかもしれない。
清水さんが紡ぐ言葉の端々から、この地への深い愛が伝わってくる、そんな暖かな取材であった。
おちゃのじかん
- 住所:〒407-0263 山梨県韮崎市穴山町7063-1
- 電話:0551-25-2321
- 営業時間:11:00〜18:00(予約時のみ18:00~21:00)
- 定休日 :火〜木曜日(臨時休業あり)
1962年生まれ。東京都練馬区出身。日本国際ボランティアセンター(JVC)の職員として25年間奮闘し、現在は、JVC副代表理事、地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)代表理事のほか、学習院大学、獨協大学、共立女子大学等で非常勤講師を務める。
地元穴山では、穴山公民館の館長、穴山町まちづくり推進協議会の副会長として活躍。穴山町サンマ祭りの仕掛け人でもある。著書に「クラスター爆弾なんてもういらない」(合同出版)、「地雷と人間」(岩波ブックレット)など。