今年で市制施行67周年を迎える韮崎市。1町10か村が合併して誕生したこの町。「どうして韮崎と呼ばれているんだろう?」と考えたことはありませんか?
当たり前だと思っていたことに疑問を持つと気になってしまうのが人の性。韮崎という名前の由来や、ルーツが知りたくてしょうがない。
「そうだ!韮崎の歴史や文化に詳しいアノ人に聞いてみよう!」ということで…韮崎市民俗資料館の閏間俊明(うるまとしあき)さんに、韮崎の歴史のあれコレを根掘り葉掘り聞いてきました。
前回好評だった「教えて閏間さん!」のコーナー。今回は、その企画の第2弾として、【韮崎の地名の謎と意外なルーツ編】を前編・後編の2本立てでお届けいたします。
目次
突然ですが…閏間さんから問題です!
わかりましたか?答えはインタビューの中で登場するので、どうぞお楽しみに。
日本人は、地名にも「キラキラネーム」をつけたがる?
確かに「垈」は山梨独自の漢字で、「どろどろ」「ジメッとしている」という意味を持っていて、湿地帯や田んぼなどを、そう呼んだりします。
一方で、交差点から南や東のエリアは、低い土地であり川も近くになるため、水はけが悪くジメジメしやすい。
つまり、「相垈(あいぬた)」は、ジメジメしている垈と相対する、ちょっと小高い場所ということで相垈(あいぬた)なんだと思います。
写真:韮崎市民俗資料館所蔵写真に加筆作成
…ということは、地名の謎を紐解いていけば、防災に活かせたりする可能性もありますか?
一方で、近年は昔からあった地名を無くしてしまったり、キレイな響きの名前や漢字に置き換えたりしてしまったりしてるので、判断が難しいところです。
例えば、大阪府の梅田。文字だけ見ると、田んぼの周りに梅林のある、すごく美しい風景を想像しますよね。でも、実際は「埋田=埋めた田んぼ」だった場所なんです。
大阪府以外にも、梅田という地名が存在していますが、いずれも改名されているんですか?
一方で、埋め立て地を「綺麗で住みやすいイメージ」が湧く漢字に改名してしまうことも、よくある話なんです。
地名の研究をしている人は大勢いて、地名に関する書籍もたくさん出ています。確実とは言えないけど、どの説も間違いとは言えない。
様々な角度から「こうだったんじゃないかな?」と想像して、いろんな捉え方ができるところが、地名の楽しみ方の1つなんだと思います。
どうして「韮崎」って呼ばれるようになったの?
写真:(一社)韮崎市観光協会
韮崎と呼ばれるようになったきっかけは、やはり野菜の「にら」の産地だったからですか?
江戸時代にはこの説が出ているので、おそらく韮崎に住んでいる人のほとんどが、「にらの葉っぱの形に似ているから韮崎なんだ」と思っているんじゃないかな。でも、これも説の一つにすぎないんです。
平和観音の反対側、富士山方面に「舟山」という丘がありますよね。じつは、七里岩と舟山はもともと一連のもので、八ヶ岳が山崩れを起こしてできたといわれています。
八ヶ岳の崩れた残骸は、甲府盆地を超えて、高速道路の南甲府インター(風土記の丘あたり)まで流れているんです。
つまり、それらを全部まとめて、まるごと七里岩というか…七里岩の元だったということになります。
昔はこの辺の低山はまとめて縦走できたんですね〜(笑)
その七里岩が、この辺りでは「釜無川」と「塩川」に少しずつ削られ台地が残り、ほぼ今の形になったそうです。その浮島状に残っている1つが舟山で、先端が七里岩。
とある国語学者は、「この2つの山は相対し、先端で睨み合っている。睨み合っている先にある土地だから「睨先」。それが時代の流れとともに漢字が変化していき韮崎になった」という説を唱えているんですよ。
ただ、睨み合っている土地には住みたくないし…この説はあまり受け入れられなかったかな?
「ニラサキ」の発音が謎を解くポイント
そもそも、ニラという植物の起源を遡ると、古い呼び名は「ミラ」なんです。もし、仮にニラと関連づけて地名を韮崎にしたのであれば…ニラサキではなくて「ミラサキ」と呼ばないと、発音としておかしいんです。
だから、そもそも野菜のニラは関係ないのではないかと。
そうなると漢字や文字に捉われずに考える必要があると?
「ニ」=赤土のこと
「ラ」=平坦な台地(古代語)
「サキ」=先端
つまり、韮崎は「赤土の平地にある先端」ということになりますよね。由来は諸説ありますが、私はこれが一番しっくりきました。
地名を考えるのって推理ゲームみたいで、おもしろいですね。
逆に考えると、これだけ多くの説が唱えられるほど、韮崎という名前が魅力的ということではないでしょうか。
でも、未だに由来はわかっていない。確かなのは、この地に住む人たちが、韮崎という響きを気に入って選んでつけたということかな。
戦国時代には「韮崎」という呼び名が認知されていた!?
ということは、山梨県(甲斐国)以外の人たちでも、韮崎といえば「武田勝頼のいる、あの“にらさき”か」というレベルでは広まっていたんじゃないかな。
つまり、戦国時代の頃から、人々の中で、なんとなく「あの辺が韮崎だよね」という認識はあって、会話の中で韮崎という地名が使われていたのは間違いないんです。
一方で、町名として「この場所が韮崎」といわれるようになったのは行政単位になってからなので、それ以前は「韮崎?あぁ〜甲府のこっち側ね!でも、八ヶ岳まで行かないんだよね」って感じだったと思います。
地名にもなっている?韮崎ゆかりの苗字とは
戦国時代の頃、釜無川沿いのエリアは武川筋と呼ばれていたのですが、その筋に沿って各地域を治める「武川衆」という集団がいたんです。
韮崎エリアだと「入戸野・折居・青木・山寺」の姓を持つ人たちが、それにあたります。
だいたいは、地名先行の割合が多くて、「〇〇さんが住んでいた地域だから〇〇と名付けました」というのはすごく希なこと。南部の火祭りの南部は、南部さんがその地にやってきたから地名になったみたいですけど。
でも、「本当に入戸野さんは、地名が先なんですか?」と聞かれると、「多分そうです」としか言えないのも事実です。
ところで、武川衆の人たちは、どうして韮崎を治めていたんですか?誰かに命じられたとか?
おそらく、武田家が武川衆たちに「お前たちにここを守らせてやろう」「手伝ってくれたら我々の力で守ってやるぞ」という感じで『地域のまとめ役』の話を持ちかけたんじゃないかな。
武田の大きな勢力が後ろ盾になってくれるわけですから、武川衆も断る理由がないですよね。
沖縄県に行くと「うるま」というお酒やタバコがあったり、うるま市もあるので、沖縄に存在する古い呼び名であることは間違いないんです。
じつは、新潟県の上越市に、「うるま」という部落もあるんです。おそらく、僕のルーツはそっちなんじゃないかな?とは思ってます。
これは、あくまでも仮説なんですが…沖縄県のうるまに住んでいた1人の漁師が漁に出て、黒潮に流れ流され、辿り着いた先が日本列島の新潟県は上越市。命からがら生き延びた「うるまさん」は、そこへ「うるま集落」をつくり、今日まで命を繋いできた…。
だからこそ、「名前」や「地名」について、研究する人がたくさんいて、それっぽい理由を見つけて説を唱えている。それだけ「名」というのは、奥深い世界ってことなんでしょうね。
教えて閏間さん!地名クイズ[PART2]
そういえば、韮崎市内の遺跡で出土した土器から「地名の呼び方の謎」や「韮崎のルーツ」が判明したおもしろいできごとがあったので、ぜひ、お話したいな…と思っていたのですが。
では、一旦休憩を挟んで、また語りましょうか。
最後に、閏間さんから読者のみなさんに、クイズの宿題です!
答えは、「教えて閏間さん!Vol.2 韮崎の地名の謎と意外なルーツ編【後編】」の記事内で発表するので、どうぞお楽しみに。
会話の中で「垈」という文字について「山梨独自の漢字なのでは?」という話題になったのですが、一体どんな意味を持っているんですか?