2019年度4月からNPO法人河原部社でカメラに関わる仕事(カメラマン・ライターなど)に興味がありインターンを行なっている。
はじめまして
どうもみなさんこんにちは。はじめまして。この度、にらレバ編集部に加わることになった者です(右のほう)。名前を酒井真周(さかいましゅう)と申します、以後よろしくお願いします。
趣味はカメラをいじることで、最近はカメラのことばかり考えてます。
大学に入ってからカメラを3台も買ってしまう程度にはカメラ沼にはまっているようです。上の写真がそのブツです。完全にカメラジャンキーです。いつでも金欠。
「カメラ好きならにらレバもやれば?」みたいなノリで編集部に入った気がします。ほぼその場のノリで入りましたよ、えぇ。
自分が編集部に加わったことで、にらレバの写真の質を今以上に上げていきたいですね。読者の方ににらレバの写真を楽しんでもらえるように頑張っていきたいですね。やっぱり情報の中でも視覚から得るものは大きいと思うので。文面に加えて写真を見て何か感じてもらえるようなコンテンツを作っていきたいです。
現在は山梨大学に通い、教育学を学びながらNPO法人河原部社でインターンを行なっています。
編集部からのキラーパス
そんなこんなでにらレバ編集部に加わったわけですが、早速記事を書く機会がやってきました。といっても具体的な指示はなく「なんか書いて」という完全に丸投げな感じでしたが。スパルタ教育ってやつですね、たぶん。
知人にアイデアを募ったところ「花火大会で良いやん」とのアドバイスを貰ったので即断で花火大会の記事を作ることにしました。その後さらに「初回の記事は誰か良く分からんから自己紹介も付け加えんかい。あと花火と浴衣着た女の子が一緒に写ってる写真も欲しいね」との強めの無茶振りをいただきました。後出しは反則です。
武田の里花火大会に赴く
しかしそうと決まれば実際に花火大会に行く他にありません。花火大会にカチコミをかけるのみです。さすがにこの状況で1人で乗り込むのは不安なので助っ人を急造して望むことになりました。夕方に軽く様子を見てから撮影に向かう算段でした。
夕方の時点で既にだいぶ人が多くわりと賑わっているようです。屋台の数もなかなか多いように思います。空が綺麗ですね。にしても暑い、少し歩いただけで汗ダラダラです。
会場近くの堤防も車でビッシリです。毎年こんな感じになってますね。
仲間と合流...できない
時間が頃合いになったころ、助っ人が会場に到着したようなので自分も向かいました。
仮設トイレを目印に集合する約束だったのですが、しかしどうにも姿が見えない。LINEも送れない、電話も通じない。なんてこった、通信障害です。こうなればしらみ潰しに確認するしかありません。それでも見つからない。このままでは撮影・企画ともにおじゃんになりかねないので必死に探します。しかし悲しいかな、傍目から見たら完全に不審者です。仮設トイレの付近をカメラ片手に永遠と徘徊しているわけですから。おまわりさんのお世話にならなかっただけ良しとしましょう。
ちなみにこの後なんとか合流できました。やれやれ。
ハナビとワタシ
合流した後は花火が始まるまでの間、写真を撮り歩いていました。今回のモデルは一度にらレバでも登場している加藤未来さんです。写真で会場の雰囲気を感じ取ってください。
屋台に並んだり。
かき氷を食べたり。おいしそう。
夜は夕方よりも人がたくさんです。油断していたら自分だけはぐれました。
花火が始まってからは座ってゆっくりと眺めたいところ...ですが今回はそうもいきません。花火こそ今回一番失敗できないシーンだからです。花火の写真のない花火記事なんてパッキンを無くした水筒のようなものです。ここ最近では類を見ない必死さ。
うんうん、わりと綺麗じゃないの、よかったよかった。
しかし、まだ編集部に言われた花火+浴衣女子な一枚を撮るまでは安心できません。
この花火+浴衣女子の写真を撮る時が一番難しかったです。でも撮れたので良かったです。
最後は座って花火を眺めました。撮影は無事終了、なんだかんだで楽しかったです。
花火を見て思うこと
花火自体に思うことはあまりないですね、毎年見ているから感覚が鈍りました。安心感は覚えているかもしれません。等身大な感じがするから。しかし、花火大会を通じて思うことはありました。
僕は生まれてからずっと韮崎に住み続けています。筋金入りの韮崎市民です。純度100%。
僕の実家は花火大会の会場の目と鼻の先の場所にあるので、今まではずっと家から花火を眺めていました。しかし、今年になって初めて会場に赴いて花火を見ました。去年まではちょっと屋台を見歩いた後、家に帰って花火を見てましたから。なんだか不思議な気分です。そして通信障害が起きたことにはビックリです。韮崎にそんな人が集まるとは思ってもいませんでした。
けれど韮崎の花火大会は他と比べたらそこまで大きなスケールではないです。韮崎の町も一緒です。その小ささに辟易する時期もありました。大学生になってもこの町に残ると決まった時が一番うんざりしましたね。東京でシティーボーイとやらになりたいと思いました。元々自分には韮崎に対する思い入れや郷土愛なんてものは一切持ち合わせていませんでしたから。
でも大学2年生の時に始めた「青少年育成プラザMiacis」での教育ボランティアがきっかけでちょっとだけ気持ちが変わりました。
そこには変わった、クセの強めな中高生やスタッフがいました。彼らと関わっているうちに韮崎にも面白い人間がいるんだな、意外に韮崎おもろいやんと思うようになりました。そうして彼らをもっと見てみたいと思うようになり、Miacisの事業元である河原部社でインターンをすることになりました。そしてにらレバにも加わったわけですね。教育ボランティアが記事を書くきっかけになったと考えると、人生何が起きるかわからないですね。そんなことを思い出しながら花火を見てました。
大学を卒業したら韮崎から出ます。けれど・・・
僕はカメラや写真が好きです。だから今後の記事も写真が多めになるかと思います。これからの記事の内容はまだ決まってはいませんが、自分の写真を通じて韮崎のリアルな姿を発信していけたらと思います。まだ韮崎のことをあまり知らない方にとって、韮崎のことを知るきっかけになるような記事が書けるように頑張りたいです。
ちなみに僕は大学を出て社会人になったら、韮崎を出るつもりでいます。そこが県外か県内かもわかりませんが、韮崎以外の町をこの目で見てみたいんです。韮崎だけしか知らない人生はさすがに寂しいものがあるので。
でも、いつか韮崎に戻ってくると思います。韮崎以外の町を知ることで、韮崎の良さがわかるかもしれません。その時には韮崎の良さをにらレバで綴らせてもらいましょうかね。
最近の韮崎はアメリカヤがリノベーションされたり、にらさき夜市が始まったりと少しづつ変わりつつありますよね。僕はこの状況にちょっと期待しています。韮崎が盛り上がって若者も退屈しない楽しい町になってほしいからです。
でも、これまでの韮崎の雰囲気も変わらないでいて欲しいと思います。これってワガママかもしれませんね。でも、大きすぎないからこその過ごしやすさや安心感があると思います。花火大会もスケールが大きすぎないからこそ自分は毎年足を運んでいたのだと思います。
どちらにしてもこの盛り上がりが続くように自分もにらレバを通じて、韮崎の情報をなるべく面白く発信していけたらと思います。これからよろしくお願いします。
あとがき
今回ご協力いただいたお三方、ありがとうございました。
そして、普段は花火を撮る時は黙々と撮るのですが、今年は年甲斐もなくはしゃいでしまいました。結果的には良い写真が撮れたので良しとしましょう。では次回の記事でお会いしましょう。さようなら。