現在は月に数回韮崎に通いながら、いろいろな取り組みに関わる。現在は、韮崎に住むべく、住居を探し中。
3月になりました。卒業シーズンですね。はじめまして、オカダです。韮崎市のローカルメディア「にらレバ」に関わらせていただき、もう少しで1年になります。それはつまり、「韮崎」という名前を聞いてちょうど1年くらいになるということです。
最初に白状しておくと、韮崎のことはほとんど知りません。毎月5日間くらいフラフラ過ごしていたり、ちょっと北杜市に浮気し遊びにいったりして過ごしています。
だからそんなぼくが、「わたしと韮崎と未来」というエッセイを書けるのは、すごく一部を見ているだけの意見、そんなふうに受け止められるかもしれません。でもだからこそ、しっかりと、ここで伝えたいことを持ってきました。
あなたに書いてきた手紙だと思って、読んでいただけるとうれしいです。
韮崎の景色は、未来への期待で彩られている
韮崎市は富士山が美しく見えるまちとしても有名
韮崎駅から見る景色が好きで、電車から降りるとよく見惚れています。まちの様子は変わるけど、この景色はずっと続くんだろなと思わせる景色です。
韮崎駅を出てすぐに、青少年育成プラザ「MIACIS」が入る建物があります。中高生のたまり場で、自由で、いろいろな年代が交差している空間。それは山梨県内初の取り組みだと聞きました。
未来というテーマを考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが、この空間の景色でした。卓球してたり、爆笑していたり、学校以外でこういう空間があることはとても尊い。そして今回この話から始めているのは、ここに卒業生が遊びに来るという話を聞いたからです。
卒業した子たちが遊びに戻ってくる。そんな居場所が作られている。そこから、未来の話を始めてみます。
誰かと何かをした場所から、未来を語ろう
宮崎県の里山「渡川」地区。美しい景色が広がる。
少し、違う地域の話をします。
宮崎県の北部に、渡川(どがわ)という地域があります。人口約350人程度の地域です。深い山々に囲まれ、水資源に恵まれた里山です。市街地からも2時間以上かかり、決して便利な地域とはいえません。
しかしここには、30代の若手Uターン者を中心に、「渡川を盛り上げよう」という動きが始まっています。
誰もが一度は地域を離れたところに、同級生たちが、一人また一人と集まってまちづくりを始めたんです。そのきっかけは、ある約束だったそうです。
この地域から出るときのこと、同級生が集まって、ひとつの約束を交わしました。
いつか将来いっしょに戻ってきて、渡川を盛り上げよう。
それが、少子高齢化をはじめ課題が山積みなった地域に、新しい未来を示すことになっています。
これは地元愛とか、地域貢献だとか、公共性の高い言葉ではなくて、ここでの暮らしは楽しかったとか、豊かだったとか、いつかまたここでという期待とか、そういう個人的な根っこにある気持ちから、現実が動いた事例なのではないかと思っています。
「いつか」を決めるのは自分だから、過去と今と未来をひとつなぎにする
ミアキスの様子。多様な年代が集まる
さて、3月です。大学進学や就職で韮崎市を出るという人も多くいると思います。もちろん、そのまままちに残る人もいるでしょう。
まちが好きでも、嫌いでも、新しい土地に行くでも、行かないでも同じなのは、これまでと違う環境になるということだと思います。実は変化なんていうものは、日々起こっていて、それを起こっていないように思っているだけだったりするのですが、具体的な、目に見える何かが生じる3月は、変化を目の当たりにしてしまうことが多いでしょう。
そのときに大事だと思うのは、過去と現在と未来を切り離さないということです。「あの頃」と「いつか」はつながっていて、「あの頃こうだった」から、「今こうなっている」はずだし、「今の選択」は、「いつかの何か」にかたちを変える。
大事なのは、「いつか」だと思います。過去と今はつながっているのはわかりやすいけど、過去と未来はつながっている感覚は持ちにくいんですよね。だから、思い出と「いつか」をいっしょにポケットに入れて生きていくのが良いと信じています。
生きづらさは間違っていないから、大事なことは何かを考え続ける
日々時間は進むし、過去と今と未来はつながっているから、今受けた刺激で、過去も未来も変わってしまうんだけど、それでもやっぱり毎日生きていかないといけなくて、辛いなと思う日もある。
最後に、そんな日々にどう生きていくのが良いのだろうということの暫定的な思いを書いてみます。
あまり年齢的なことを言う気はないんだけど、それでもやはり年を経るごとに、指導とかアドバイスとか意見とか、良い風な言葉に包まれた言葉が飛んでくる。惑わされることも増える。そのどれもが、あなたのためだって面で飛んでくるから、やっかいだ。惑わされることも増える。
受け止めることは大事だけど、受け入れる必要はないと、まずは言ってみたい。
生きづらいのは当然で、生きづらくなくなったら、それは何かを失くしたか、何かを麻痺させたか、とにかく何かが決定的に変わってしまうことだから、それは肯定すれば良いと信じている。
だから、何かがどんな言葉でも飛んできたときに受け止めるのは大事だけど、全てを受け入れる必要はない。
そしてだからこそ、ムカつく気持ちや、違和感や、怒りや、理不尽に手を抜かないことも同じくらい大事だと思う。それは、自分のおくの方の何かがざわついたものを感じた結果だと思うから。
一方で、何かに対しての即応的な気持ちや行動は、自覚的になって一呼吸置くこと。ワッときた自分のものではない感情に支配されないようにすること。
そして生きることは、考え続けること。生き方の構えを間違わないこと。
そして生き抜くこと。弱さを抱えて生きること。その姿が強いということなんだと思います。
さて、長い手紙も終わりです。「わたしと韮崎と未来」というテーマでした。韮崎に来て、若い人たちが描く未来というのに、すごくハッとして、いつか言葉にしたいと思っていたことでした。
ここは、誰かのいつかを、いつまでも期待して待てるまちになるんじゃないかなと思います。そしてそれを築くのも、ひとりひとりなんだと思います。
新しいスタートをする全ての人へ。いつかをポケットに入れて、今日も生きていきましょう。