韮崎を拠点に作品をつくる映画監督|リレー記事vol.011『ナカザワユウスケと韮崎と未来』

わたしと韮崎と未来

はじめまして、フリーランスで映像作品制作・演出をやっています。中澤裕介です。

1991年、生まれも育ちも韮崎ですが大学進学のため上京、卒業後は山梨に戻り塾講師として働く傍ら、映像制作と演出・そして地方短編映画に関わる活動をしています。

ご挨拶がてら・・・

最近、公開前からなにかと話題になっていた映画 『JOKER/ジョーカー』 を見にいってきた。上がりきったハードルを見事に飛び越える作品で、アメコミ知識なし、バットマンを見たことなしの人でも楽しめる映画だった。むしろそれらがない方が、この映画はより魅力的に見えると思う。

いい作品、映画に出会うと自分も映像制作により一層力が入るし、自分が初めて「映像を作ってみたい」と思った時のワクワクした気持を思い出す。それが自分の一番の原動力だ。これからもそうやって今やっていること続けていきたいなんて考えたりもする。

ここからは、自分の映画・映像制作に関わることだったり、韮崎に対すること、そしてこれからのことをつらつら書いてみようと思う。

・学生時代の監督作品
・北杜市短編映画【撮影助手として参加】

“見る側”と“作る側”

僕は、韮崎を拠点に個人で映像制作やスタッフワークをやっているがそのベースとなっているのは “映画”だと思う。だから、どうしても自分が映像を作る時には、「物語」や「ドラマチック」な部分から考え、発展させるところからはじめていく。作品の尺や、最終的な作品の形(PV、ミュージック・ビデオ、PR動画) にはこだわらず、30秒なら“30秒の映画”、5分なら“5分の映画”をつくるつもりで作っている感じだ。
抽象的な言い方ではあるが、出来上がった映像に『なんか映画みたいだね・・・』と言われるのが僕は一番嬉しいかもしれない。

たまに自分が作る側になったことを不思議に思うことがある。
高校生の半ばまでは自分が映像をやる人間になるなんて微塵も考えてなかった。
子供の頃から日本・外国の映画やテレビドラマは好きではあったがそれだけで、自分の好きな作品を友人に話したり、紹介するぐらいだった。

だが高校3年生の時、自分達のクラスが文化祭で使う映像を作ることになり、クラスメイトがビデオカメラを持ってきた。その内容は楽しそうなクラスメイトを撮るだけのものだったが、撮影を任された僕はカメラを構えながらすごく興奮していたのと同時に、なにか特別なことをしている感覚になったことを覚えている。
今振り返ると『自分で作ってみたい』という気持ちを確信した瞬間だったと思う。

それからは何も考えてなかった自分が嘘のように変わった。
進路先の大学も映画制作を学べる大学にあっさり決め、残りの高校生活を「映画・映像をつくる人間」になるための準備期間として、無知なりに考えを巡らせ物事を見るようになっていった、その道に進むことに何の迷いもなかった。
見るだけで満たされなくなっていた部分が“見る側”として限界を超えていたのだと思う。

今もその時の衝動に動かされたまま、現在に至っている気がする。
一時、やめようかと考えた時期もあったし、映画が嫌いになる瞬間もあった。
しかし、数日経つと気が付けば映画・映像作品を見て、自分ならどうするかと考えを巡らせている。結局はそこに引き戻され、“見る側”と“作る側”の行ったり来たりを繰り返して進んで行くんではないだろうか。見ない、作らないという選択肢はないのだ。

力をくれた生まれ故郷

東京の大学で映画・映像の制作を学んでいたころ、卒業制作のロケのため韮崎に帰ってきたことがある。自分達の映画制作で韮崎に帰ったことは初めてではなかったが、自分の中で韮崎の景色に変化があった。それは上京する前には感じなかった「愛おしさ」だった。

高校の通学路だった商店街、何度となく渡っていた武田橋、韮崎を見下ろす観音像、見過ごしてきた何気ない通り道に今まで感じたことのない良さを覚えた。
「自分が何か映像をつくるなら、ここがいい」と直感的に思った。

それは自分のなかの原体験や原風景を意識したということだろう。
外側に行けば行くほど内側と向き合うことになる、そんな感覚だった。

書いていて気付いたが、国内・国外問わず映画監督たちの多くは自分の原風景や原体験を作品のなかで活かしている。
最近だとクエンティン・タランティーノ監督の映画 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』がまさにそれで、タランティーノの幼少期のハリウッドの景色や空気が作品のなかで大事な役割を担っている。他にもデビット・リンチ監督の映画 『イレイザー・ヘッド』やドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ブレードランナー2049』なんかでも、作り手の生まれ故郷の景色が作品に大きな要素として取り入れられている。やはり映像表現に関わるとそういった部分が自然と出てきてしまうものなのだろうか。

そう思うとなおさら、この韮崎も魅力的に見えて仕方なくなってくる。
なんでもないと思ってた場所が、理屈ではない感覚的なところでなんかいいなと思わせられる場所に変わっていく、そんな作品も作れたらと思ったりしている。

『継続』

学生時代も含めてこれまでたくさんの俳優や映像制作の人たちと出会ってきた。
しかし、様々な理由から続けることが出来ず、やめていく人たちも多くいた。生活、年齢、才能、それぞれその人にしかわからない事情を抱えていた。
今自分がなんとか続けていられているのは“出会い”と“機会”に恵まれていたということと、それらを“活かせた”ということだと思う。ほんとに些細な行動の一つ一つが今の自分を成り立たせていると感じる。今回このような形で『にらレバ』に記事を書かせて頂いたことも、また自分の活動を見返すいい機会になった。

現在僕は、来年制作される北杜市制作の短編映画に助監督として関わりつつ、自主制作でも韮崎のフットサルチーム/エスポワール・フットサルクラブのPV制作を行っている。これからも様々な形で映像制作・演出をやっていきたいし、やはり自分が監督する映画は撮りたいと思う。

自分もまだまだ発展途上の身ではあるが、これを読んでくれた学生や僕より下の世代がなんかやってみようかと思ってくれたら嬉しい。
『好きなこと』をやって生きていくと言うのは難しい、でもそれを『できること』に変換できた時、そこに”継続”が生まれると思う。それが自分のなりたい姿、行きたい方向に導いてくれることを信じて、僕自身も精進していきたい。

・学生時代の監督作品
・北杜市短編映画【撮影助手として参加】

映像制作・演出:中澤裕介 /  Gmail : my.movie1031@gmail.com