『日本百名山』の著者、深田久弥も愛した山|茅ヶ岳

 

私は「山登りが好き」と胸を張って言えるほど、積極的に山に行くタイプではない。
けれど、山梨に住んでいると周りに山好きの人がたくさんいて、「一緒に行こうよ」と私にも声がかかることがある。そんな時は「せっかくの機会だ」と思い、ひょこひょことついて行くことが多い。

そんな山好きの友人たちのおかげで、今回訪れた『茅ヶ岳』に登るのは、なんと4回目。
なぜ、登山初心者の私が同じ山に何度も登っているのかと言うと、この山が初心者でも登りやすい、ちょうどいい山だからだ。

茅ヶ岳の標高は1,704m。穂坂町にある深田記念公園口から登ると、およそ4時間で往復することができる。

そして、『日本百名山』の著者・深田久弥氏の終焉の地としても有名な山だ。

毎年4月の第3日曜日には深田氏を偲ぶ『深田祭』が開催され、例年、多くの登山家が集い、献花や献酒を行う。また、記念登山や白鳳会(※)のみなさんによる、初心者向けのガイド付きトレッキングが催され、多くの参加者が茅ヶ岳に登り、深田久弥氏の功績に想いを馳せている。

(※)「山岳の研究、調査発表および登山技術の向上、普及発達を計ると共に会員相互に親睦を計るを以て目的とする。」を会則として、1924年(大正13年)韮崎市に創設された地域山岳会。

今年は、深田氏が急逝し50年を迎え、深田祭は40回目の開催とちょうど節目の年にあたる。

今回のよりみちでは、韮崎市民ならぜひ一度は登ってもらいたい山『茅ヶ岳』にて、4月18日に開催されたイベント『深田祭』の、初心者向けガイド付きトレッキングに参加してきた様子をお届けしたい。

深田久弥氏の偉大さを知る

深田祭の様子

『深田祭』当日、韮崎ICから車で約10分に位置する『深田記念公園』に到着すると、そこには想像以上の山岳関係者や登山家たちが集っていた。駐車場には県外ナンバーの車が並び、碑前の机には溢れんばかりのお花やお酒が献上されている。

それを見て、山を愛する人たちにとって、深田久弥という人物がいかに重要な存在であったのかを実感する。

「日本百名山を制覇したい」
「あの山は百名山の一つだ」
そんな言葉を友人たちの口からこれまで何度も聞いてきた。

この当たり前のようにみんなが口にしている『日本百名山』を提唱したのが深田氏なのだから、その功績は計り知れない。一体これまでどれだけ多くの登山家が “百名山制覇” を目指し、山登りに情熱を注いできたのだろうか。

「ガイド付きトレッキングの受付は...」と一人きょろきょろと辺りを見渡していると、「よっ!山ガール!一人なの?」と参加者のおじさんに軽快に声をかけられた。
山ではみなさん心がオープンになる。

「受付はこっちこっち。俺は職場の仲間と毎年この記念登山に参加してるんだよ。
いつもこの辺に、山頂付近で倒れた久弥さんを背負って下山した山岳会の人がいたんだけど、去年コロナでこのイベントが中止になって、その間に亡くなってしまってね。
もっと話しておけばよかったなって後悔してる。でも、今年は開催されたことだけでも嬉しいね。」

どうやら山好きの人たちは、このイベントを毎年楽しみにしていて、そこで多くのつながりを築いていたようだ。私もその方にお会いしてみたかったなぁ...と思いつつ、参加したことで生まれた新たな出会いに感謝する。

無事にガイドツアーの受付を済ませ、参加料の1,000円と引き換えに、深田氏にまつわる資料と記念ピンバッチ、あんぱんを受け取った。

あんぱんは食べやすくて手間がかからないという理由から、深田氏が登山の際に必ず持参していたそうで、茅ヶ岳で最期を迎えた日も、あんぱんを持って臨んでいたそうだ。

準備体操の様子

参加者みんなで丸くなって準備体操を済ませ、いよいよガイド付きトレッキングが始まった。

野草を愛でるたのしさを知る

野草の説明をしている写真

「この赤い花を付けているのはウグイスカグラだね」

「これはクロモジと言って、高級つまようじに使われている植物だよ」

歩き出して早々に、聞いたこともない樹木の名が次々と飛び交い、慌ててメモを取る。

白鳳会のガイドの方は、注意して見ないとそこにあることさえ気付かないような、小さな野草も次々と見つけ、名前やその特徴を説明してくれる。

3回も茅ヶ岳に登っているはずなのに、こんなにいろいろな植物があることを私は知らなかった。
これまで知らずに見過ごしてしまっていたであろう樹木や野草も、名前を知ると急に愛着が湧き、目に入ってくるようになるから不思議だ。

ウグイスカグラ

ウグイスカグラ

クロモジ

クロモジ

「これはヒトリシズカとエイザンスミレ」「こっちはニオイタチツボスミレ」「これはマルバスミレだね」

あれ?何だかスミレが多いような・・・???

キョトンとしている私に、ガイドの方が、日本国内には約60種類のスミレが自生していて、変種や品種、雑種も含めるとその数は150種類以上にもなるのだと教えてくれる。

ヒトリシズカとエイザンスミレ

ヒトリシズカとエイザンスミレ

ニオイタチツボスミレ

ニオイタチツボスミレ

マルバスミレ

マルバスミレ

いろいろ知っていてすごいなぁと感心していると、参加者の一人であり、野草にとても詳しい女性が、私にこんな話をしてくれた。

「一つの花を見つけると、500mくらい歩けるパワーが湧いてくるのよね。そして、また歩いている間に野草を見つけて、その可愛さにパワーをもらって、その繰り返しでどこまでも歩けるような気がするの。」

確かに、小さな花が誰に見られる為でもなく美しく咲いている姿を見ると、少し元気をもらえる気がする。

これから山に登るときは、もっと足元の野草や周りの木々に目を向けてみようと思った。

初心者向けと言えど、本格的な登山道


茅ヶ岳は初心者向けとは言われていても、慣れない山道を歩くのはやっぱり大変だ。

始めは緩やかな坂道だが、やがてゴツゴツとした岩が目立つようになり、いつしか道は尾根に挟まれた本格的な登山道となる。

登山道の写真1
登山道の写真2
この後半の険しさを忘れて気軽に参加してしまったことを少しだけ後悔しながら、必死に前の人に付いていく。この頃には、もう野草を探して愛でる余裕もない。

「上ばっかり見ないで足元を見て一歩ずつ進めば、必ずゴールにたどり着くから」

参加者の誰かが、口数が減ってきているみんなに向かってそう声をかける。

そんな言葉に励まされながら一歩ずつ歩みを進め、いよいよ『深田久弥終焉の碑』に辿り着く。

深田久弥終焉の碑

昭和46年3月26日、日本山岳会のメンバーとともに茅ヶ岳を登っていた深田氏は、この場所で脳卒中のため倒れ急逝した。一緒に登山をしていた山岳会の仲間に背負われ、5時間半かけて麓まで搬送されたそうだ。

そのときの様子を想像しながら、手を合わせ目を瞑る。

50年の時が経った今も、こうして多くの人がこの碑の前で黙祷し、深田氏を偲んでいる。

ここから山頂まで、あともう少し。
深田氏が最期に足を踏み入れることのできなかった山頂を、みんなで目指す。

山頂は360度のパノラマビュー!

茅ヶ岳山頂

終焉の碑から15分ほど歩き、ついに山頂に到着!

この日は雲が多かったが、それでも澄んだ空気を思いっきり吸い込みながら眺める360度のパノラマは、やっぱり素晴らしい。

茅ヶ岳は、奥秩父、八ヶ岳、鳳凰三山をはじめとする南アルプス、霊峰富士へと連なる大パノラマ展望が楽しめることから、1997年2月に『山梨百名山』に選定されている。

この壮大な景色を見ていると、ここに辿り着くまでの険しい道のりのことなんて頭から吹き飛んでしまう。

富士山
八ヶ岳

深田記念公園にある記念碑には、「百の頂に百の喜びあり」という深田氏の言葉が刻まれている。

山頂でしか見ることのできない景色や、感じることのできない喜びがあるから、みんな大変な思いをしながらも、山に登り続けるのだろう。

そしてこの景色に出会えた私も、きっとまたこの山に登ってしまうのだろう。

びっくりするほど美味しいお弁当を頬張りながら、またあの岩場でひぃひぃ言っている自分を想像して、なんだか可笑しかった。

よりみちのかえりみち

下山して車で坂道を下ったら、あっという間に韮崎のまちにたどり着いた。
茅ヶ岳は本当に、韮崎のまちに近い山だ。

今回、深田祭のガイド付きトレッキングに参加して、深田久弥という人物がいかに登山家たちに愛されているのかということ、山には本当にさまざまな植物が生息しているのだということがわかった。

韮崎のまちで忙しなく日常生活を送っていると、ついつい山は「変わらずそこにあるもの」という気がしてしまうけれど、山の中の景色は常に移り変わっていて、きっといつだって美しいに違いない。

自然がこんなにすぐ近くにある場所に住んでいるのに、見逃している美しい瞬間がたくさんあるのだと思うと、なんだかすごくもったいない気がしてくる。

茅ヶ岳は、「初心者向け=易しい」というわけではなく、少し大変な部分もあり、それを乗り越える達成感も含めて、ほどよく登山をたのしめる山なのだと思う。

こんなにちょうどいい山が身近にあるのだから、またふらりと登りに来てみよう。

次回はどんな喜びに出会えるだろうか。