県外の友人が韮崎に遊びに来る際、おすすめの宿泊場所を聞かれることがある。
そんな時は便利さを考えて、韮崎駅の近くにある清水屋旅館やゲストハウスchAhoなどを薦めることが多い。しかし、今回宿泊してきた穴山町の「能見荘」は、市街地から少し離れているが、“わざわざ泊まりに行きたくなる”そんな宿だ。
創業はなんと、大正元年(1912年)。立派な庭園を持つ和風旅館で、市内の数少ない温泉付きの宿なので、旅の疲れを癒してくつろぐにはもってこい。
日本百名山の著者、深田久弥氏の“終焉の宿”としても知られており、今も多くの登山愛好家たちが訪れている。(茅ヶ岳で亡くなる前日に宿泊していたそう)
今回は、そんな「能見荘」によりみちしてきた。
目次
登山家・深田久弥氏「終焉の宿」
七里岩の高台に佇む「能見荘」は、大正2年の中央本線「穴山駅」の開業以降、駅を利用するお客さんを中心に栄えてきた宿だ。
当時は、今のように、誰もが車を所有している時代ではなかったため、南アルプス・八ヶ岳・秩父山系などの山々へと挑む山屋たちが、駅から徒歩15分のこの宿を拠点としていたらしい。
日本百名山の父と呼ばれる深田久弥氏もその一人であり、茅ヶ岳登山中に終焉を迎えることとなった前日にも、登山仲間たちとこの宿に泊まり、宴に興じていたという。
ロビーには、その際に撮影された写真が飾られており、その元気そうな姿からは、まさか次の日に亡くなることになるとは想像もできない。
旅館からは、氏の最後の山「茅ヶ岳」を望むことができるので、多くの登山愛好家たちが、ここで氏へ想いを馳せてきたのだと思うと感慨深い。
庭園、温泉、茶室まで?気になる館内を探検
立派な庭園眺めながらくつろげる和室
客室は1階に3部屋、2階に2部屋の計5部屋。
1階の客室には、「梅」「萩」「桐」と木の名がついており、2階の客室には、「鳳凰」「富士」と山の名前がついている。
2階の客室は平成7年に改装されており、古い宿ながらとってもきれいで、和風旅館としての趣がある。
どの部屋からも庭園を眺められるつくりになっており、窓際の席に座って外の景色を眺めれれば…「あ〜泊まりに来たぞ〜!」と、日常から離れてゆっくり過ごしているという実感が湧いてくる。
この日はあいにくの雨だったけれど、雨もよく似合う庭だった。
草木に雨が滴る様子を眺めたり、濡れた土の匂いを吸い込むと、どこか懐かしい感覚になるのは、子どもの頃に緑の中で思いっきり遊んでいたからなのだろうか...?
宴会にもぴったり!開放的な大広間
食事は一階の大広間に用意される。新型コロナウイルス流行前は、ここを会場として大村智博士を囲う会が開催されたり、にらさきサッカーフェスティバルの団体が宴会をしたりと、広く活用されていたのだそう。
窓の外に広がる立派な庭園を眺めながら、気の知れた仲間とお酒を飲めば、ついつい気分がよくなって飲みすぎてしまうかもしれない。
さっぱりとした泉質の「穴山温泉」
石造りでタイル張りの内湯には、無色透明のメタ珪酸含有泉が満ちている。泉質はさらりとしていて、ジェット水流が2本出ている。
極めてシンプルなつくりのお風呂だけれど、静かな浴室に浸かっていると、時間を忘れてくつろぐことができる。
ちなみに、500円で日帰り入浴も可能だ。
自然環境を活かして設計された茶室
1階の廊下を抜けた先には、「十方庵」という茶室もある。
先代が全国の茶室を見て周り、理想を追求し築いた本格的な茶室であり、窓から差し込む光や床に落ちる木々の影が美しい。
コロナの流行前までは、お茶のお稽古や初釜(新年お祝いのお茶会)、七夕のお茶会などが開催されていたそう。
自然あふれる環境の中いただくお抹茶は、さぞおいしいに違いない。
食材へのこだわりが詰まったお料理に舌鼓!
夕飯は、「これぞ旅館に求めるメニュー!」という内容で、刺身、天ぷら、焼き魚、煮物などが並び、しっかりとボリュームがある。どのメニューも絶妙な味付けで、一つ一つ丁寧につくられていることが感じられた。
食材について尋ねてみたら、野菜はなんと自家製で、お米も地元で取れる武川米48号を使っているそう。特に説明が書かれているわけでもないけれど、当たり前のように食材にこだわっているのが素晴らしいと思う。
朝食のお味噌汁は、自家製の味噌が使われていて優しい味。付け合わせのふきの佃煮もとてもおいしくて、良い1日の始まりを感じさせる、健康的な朝食だった。
少し不便なくらいがちょうどいい
能見荘を営んでいるのは、伊藤さんご夫妻。
女将さんに、「若いお客さんは珍しいから嬉しいです。若い人たちはもっと駅やコンビニが近い便利なところがいいのでは?」と聞かれたので、「昨晩最寄りのコンビニまで30分かけて歩いて楽しかった」という話をしたら、「前向きね」と笑顔を向けられた。
実際に前日の夜は、携帯のライトで夜道を照らしながらコンビニまで歩いた。雨が降っていたので少し服が濡れたけれど、それもまた思い出の一つになった。
便利な場所にある宿もいいけれど、せっかく非日常の場所に泊まりに行くならば、少し不便なところ(と言っても車を使えばコンビニまで3分程度)を選ぶのも面白い。そう感じるのは、きっと私だけではないはずだ。
常連たちの文化的な過ごし方も
ご夫妻によると、この宿を訪れるのは歳を召した常連さんが多く、毎年同じ季節に訪れたり、何ヶ月かごとに定期的に訪れたりするお客さんもいるそう。
そして、ここを拠点として山へ登ったり、絵を描いたりして、のんびりと過ごすそうだ。
中には、毎年2回春と秋に訪れる囲碁のグループもいるそうで、2泊3日の間ひたすらみんなで囲碁三昧。たまの息抜きに「おちゃのじかん」まで歩いて珈琲を飲んだりして過ごすというのを、かれこれ10年以上続けているんだとか。
なんて優雅な時間なのだろう...私もそんな大人の時間を過ごしてみたいものだ。
よりみちのかえりみち
「お気をつけて」とご夫妻に見送られ、能見荘を後にする。韮崎駅までは車で15分弱。山あいにあるとは言え、車に乗ればあっという間だ。
能見荘は、想像以上に文化的要素を兼ね備えた素敵な宿だった。ここで仲間とおいしい料理とお酒に舌鼓を打ったり、ゆったりと庭を眺めて季節の移ろいを感じたりするのは、すごく贅沢な時間だと思う。
この宿には、大正の時代から、ここで過ごした多くの人々の物語が詰まっている。自分もその歴史の一部に加わったのだと思うと、なんだかうれしい。
私たちの同世代には、あまり知られていないというだけで、こういうところでのんびり過ごしたいと思う人は、たくさんいるに違いない。
今度からおすすめの宿泊先を聞かれたときには、「能見荘」の名も、必ず挙げるようにしたいと思った。
「能見荘」の基本情報
所在地:山梨県韮崎市穴山町4589
電話番号:0551-25-5011
チェックイン 15:00 (最終:24:00)/チェックアウト 10:00
料金:8千円〜1万3千円(朝夕付き)