27歳で借金1億800万円!?波乱万丈な人生を経て私が今、50代の仲間と韮崎でゲストハウスを作るワケ…|リレー記事vol.015『サガラカズヒコと韮崎と未来』

相良和彦さんのリレー記事アイキャッチ画像

初めまして。相良さがら和彦かずひこと申します。

私は、ある糸でつながるシニア3人組でチーム(チーム元気玉)になって、韮崎市藤井町の空き家でゲストハウスを作る準備をしています!

私の人生はまさに波乱万丈

「東京で成功してやる!」と頑張ったものの結果は大借金!転職は2回。それも会社員→数学教師→ラーメン屋開業!とわけわかんない職歴。

こんな人生を経て、今、私は東京で知り合った同世代の3人組でゲストハウスを作ろうとしています。

今回、このリレー記事執筆の機会を頂き、「シニアの3人組がなぜ今、韮崎でゲストハウスの準備にとりかかることになったのか?」をお話しさせていただこうと思います。

★2020年7月オープン予定(目標)のゲストハウス

韮崎にオープンするゲストハウスの写真
↑ゲストハウスにする予定の韮崎市の空き家とチーム元気玉のメンバー
ゲストハウス内ウッドデッキを設置予定の場所
↑このスペースにゲストハウスの一番のウリ!
「ワイワイバーベキューのできる大型ウッドデッキ」を作る予定ですヽ(^o^)丿

私のこれまでの人生・・・

1963年、私は東京都世田谷区で生まれました。とはいっても東京在住は一瞬です。

父は、須玉町江草出身。韮崎高校(旧韮崎中学)卒業後、東京で働き、東京生まれの母と結婚しました。当初は東京で暮らす予定でしたが、実家の跡継ぎ予定だった父の弟が病気で亡くなり、急遽、父が家業(商店)を継ぐことになり、私が生まれてすぐに江草にUターンしました。

「とにかく東京で稼ぎたい」と思っていた学生時代

自営業の商店で働く両親を見て育った私は、かなり早い時期から「自分もいつか自分で事業を起こしたい」「一番信用があるのはお金。貯金が大事!」という気持ちが強かったと思います。

生まれも育ちも東京の母からは都会の暮らしの良さ?凄さ?をよく聞かされていたこともあり、「早く都会へ出たい」という強い憧れもずっと持っていました。

いつしか「とにかく都会に出てお金を稼ぎ、成功したい!」と言う気持ちが努力の強いモチベーションになり、1981年に韮崎高校を卒業した後は、大学進学のため県外へ出ました。

大学では経営工学を学んでいましたが、教員免許も取りました。

また、大学4年生のときに「つくば科学万博」が開かれた際には、生まれながらに起業と商売意欲のある私は、大学の同級生9人を集めてチームを組み、「大学生アルバイトを集めて、万博会場スタッフとして派遣する」という、今でいう「人材派遣業」の走りのようなことを行いました。

「起業して自力で稼ぐこと」に非常に大きなやりがいや喜びを体験しました。

こうした思いや経験を胸に社会に出た結果、私はその後、かなり「波乱万丈な人生!?」を送ることになります。

「幸せになるにはなによりも貯金!」と頑張ったはずなのに結果は「借金地獄!?」

大学卒業後は教育系の会社に入社して、念願の東京で勤務しました。

当時はバブルが始まったばかり・・・私は当然事業意欲も貯金意欲も満々で、入社1年目から「オレは学生で事業を成功させた人間だ!」と怖いもの知らずでローンを組み、不動産や事業投資もはじめました。

当初はバブルの波に乗り、「オレは27歳で人生の幸せを手に入れた!」と浮かれていましたが、1990年、バブル大崩壊!

地価は下がり、一転、「1億800万円のローン返済地獄」に落ちました。(以後、2010年(47歳)までローン返済優先の人生に・・・。)

バブル崩壊から3年後の1993年、勤務していた会社が私立中高一貫学校を新設し、30歳のとき、教師として転籍しました。

自分の裁量を活かせる教師の仕事は向いているとも思いましたが、起業の夢やローン返済をもっと早く終えたいという「焦り」もあり、教師を37歳で退職しました。

相良さん教員時代のクラス写真。
↑新任で担任を受け持ったクラスの生徒達!
相良さん教員時代
↑教師時代。授業をしながらもローン返済のことが頭をよぎる・・・!?

ラーメン店「オリオン食堂」をいきなり開業!?

相良さん教員時代生徒からの寄せ書き
相良さん教員時代寄せ書き2枚目
↑突然のラーメン屋転身!
応援してくれた教え子たちに「失敗の姿は見せられぬ!!」誓いの出航!!

ほぼ素人独学で始めたため、当初6年間は本当にもがき苦しみました。しかし、「もう後がない!」と踏ん張り、「味作りと店づくりのコンセプト」が完成した後、ようやく経営が上向き、2010年に念願のローン完済!
47歳になっていました。

ラーメン屋をDIYで新装
↑「夢はあるが、お金がない」ので、店作りは電気ガス水道工事以外ほとんどDIY!

でもなぜかとっても楽しかった!この頃は体力もエネルギーもあったなぁ!

オリオン食堂開店の様子
↑2001年12月 念願のラーメン屋「オリオン食堂」開業!

お店は手作り感満載!アルバイトは、東京で大学生になった元教え子達!

仕事の飲み込みもあっという間で優秀!本当に助かりました!

↑開業当初もがき苦しむが、少しづつTVにも取り上げられるようになりました(^▽^;)
オリオン食堂に来てくれた教え子たちと
お店に来てくれた教え子達と共に。。。

教え子も延べ500人以上も来てくれ、今でも交流が続きます。韮崎にも絶対に来てもらおう!本当に本当にありがとう!

新築したオリオン食堂
↑2011年1月 新築直後のオリオン食堂。
開業当初のDIY店舗と比べたら立派なものです(^^;)

2017年に会社を法人化し、ようやく軌道に乗ると思っていたのですが、私はここで「大きな転機」を迎えます。

大きな転機。お金より大切なものがあることを知る

売り上げ好調のさなか、2019年に会社を後継者に事業継承することになります。

理由を一言で言えば、「売れる店の仕組みは作れた」が「良いチームワークは作れなかった」ということです。

私が両親の通院や介護のため現場から退いたことも一因ですが、「社員の幸せ=結局は給料(お金)」という価値観以外を大切にしていなかったことも大きかったと思います。

良いチームを作るには、「幸せになるには結局最後はお金がものを言う」という、自分の根底に染み着いた価値観や評価の基準を変えなければならないということは分かっていました。

しかし、お金より大切なものが何なのか、当時は決定打が見つからなかったし、中途半端に仕組みを取り入れて、会社が「ゆるい仲良しクラブ」になるのが何よりも嫌でした。

山梨の両親の介護の問題もあり、創業者としての自分の役目はここまでだと自覚し、きっぱりと見切りをつけて「1年かけて組織を刷新して、ふさわしい後継者も見つけ事業継承する」と決めました。

オリオン食堂の後継者との写真
私の後を立派に引き継いでくれた後継者と

私のこれからの人生・・・そしてメンバーとの出会い

56歳で「自由人」になった私は「幸せになるには結局最後はお金がものを言う」という価値観に翻弄された人生を反省し、「これからは新しい幸せの価値観を見つけ、スタートさせたい」と思うようになりました。

その矢先に、中学~高校時代の親友の高見澤さんから「これからの人生のヒントが見つかるかも」と誘われて、大前研一氏(元マッキンゼー日本支社長)が26年前に創設した「地域貢献活動・社会起業家の養成学校(一新塾)」の東京説明会に誘われ、内容に共感し、そのまま入校することになりました。

もう一人のメンバーの染谷さんともこの学校で知り合いましたが、なんと偶然にも高見澤さんの会社の同期だということがわかり、「必然的!?」とも言える出会いで、私たちはすぐに意気投合してチームを結成し「50代からの人生をとことんハッピーにできることをしよう!」と活動をスタートさせました。

あらためてチーム元気玉のメンバー紹介

チーム元気玉メンバーの写真
チーム元気玉メンバー(左から高見澤敏雄/染谷哲朗/私、相良和彦)

高見澤敏雄さん

1964年生まれの56歳。須玉町若神子出身。韮崎高校OB(32期生)。

埼玉県上尾市在住。現在東京勤務会社員。相良とは中学時代からの同級生で親友。

2018年秋の韮崎高校同窓会で20年以上ぶり?の再会。

染谷哲朗さん

1965年生まれの55歳。神奈川県出身。東京都世田谷区在住。現在東京勤務会社員。
高見澤さんとは会社の元同僚。

「何から始めれば」良いのか?・・・「お金より大切な3つのモノ」

「50代からの人生をとことんハッピーにする」ために私たちは何をすれば良いのか・・・。スタートの切り口を決めることが、私たちが最も苦労したことでした。切り口を見つけるきっかけになったのは2つのデータと、これまでのインタビューでの回答でした。

1つ目は、経済産業研究所と同志社大学が、2万人の日本人を対象に行った「幸福な人の共通点」を研究した実証実験のデータです。
研究で得られた「日本人がお金より大切にしている3つのモノ」、それは「健康」「人間関係」「自己決定感(自分で自分の人生を決めること)」でした。

2つ目のデータは、東洋経済オンラインが実施した「老後にお金以外で大切にしたいモノ」のアンケート調査結果です。
それは、「健康」「生きがい」「仲間との交流」でした。

そして私たちが並行して行っていた東京都と韮崎市と北杜市の友人・知人へのインタビューでも、ほとんどの人が「人との交流が大切」と強く答えていました。

私たちはこれらを併せて検討し、人との笑顔の交流を広める活動から始めることを全員一致で決めました。

メンバー全員が県外在住者なのになぜ韮崎を選んだのか?

「笑顔の交流を広める活動をどこでするのか?」について、当初は東京都と韮崎市の2つが候補に上がっていました。

  1. 知人友人をはじめとする頼れる仲間が多かった
  2. インタビューやアンケートでも「交流を大切にする」という熱のある回答が非常に多かった
  3. 私が所有する空き家が韮崎市にあり、ゲストハウスの案が出た
  4. 我々が県外在住者だからこそ、韮崎市外の仲間にも交流を呼びかけやすいと思った

以上の点を考えた結果、私と高見澤さんが高校時代を過ごした「想い出深い韮崎市で活動したい!」と決めました。

50代よ大志を抱け!さぁ「笑顔の交流ゲストハウス作り」をはじめよう!

2019年11月、私たちは何度も話し合い、韮崎市藤井町の空き家をDIYでリメイクして、「多様な笑顔の交流を目的にした、何度も訪れたくなる集い場&交流ゲストハウス」を作ることにしました。

このゲストハウスで韮崎市民同士だけでなく市外や他県の人々、そして他国の人々との多様な笑顔の交流が生まれ、韮崎市の関係人口が増え、いずれ2拠点生活人口や移住人口が増えることで、韮崎市に少しでも役に立てば良いなと思っています。

ゲストハウス準備の写真

最後にもう一度伝えたいこと

私が人生を通して気付いた大切なことは、「幸せになるには結局最後はお金。だからお金優先。」という、時に人を惑わすお金優先の価値観からの転換です。

「世の中にはお金よりももっと直接的に豊かな幸せを感じられることがたくさんある」という価値観が当たり前になる社会になれば良いし、必ずなると信じて活動していきたいと思っています。

出身の韮崎高校での同窓会の様子

↑韮崎高校時代の同級生との楽しい飲み会!無尽をはじめこんな笑顔の交流がゲストハウスでできるといいな!

ゲストハウス情報(一緒に作ってくれる人も募集!)

ゲストハウス「YAMA星人」のイメージ画像