にらレバライター、BEEK DESIGN スタッフとして編集・デザイン業に勤しむ。元地域おこし協力隊・青少年育成プラザMiacisスタッフ。1991年生まれ。韮崎高校出身。音楽・サウナ・お寿司が大好き。
今回ご紹介する杉本龍郎さんは、韮崎・北杜エリアを中心に、日本全国の山をお客さんに案内する「登山ガイド」。年間250日は山に入り、お客さんに危険な場所の歩き方を教えたり、山の動植物の説明をしたりしながら山の魅力を多くの人に伝えています。
埼玉県さいたま市の出身で、スイスやニュージーランドでのガイド経験も持ち、「山の近くで暮らしたい」と昨年5月に韮崎に移住してきた杉本さんは、韮崎のことを「山と街が交差するジャンクションみたいだ」と言います。
韮崎の街で生活し、日々お客さんを連れて山を歩いている杉本さんは、一体なぜそのように感じたのでしょうか?
登山ガイドという特殊な仕事のこと、この街での生活のことなど、いろいろなお話を聞かせてもらいました。
「自分の人生を費やすならば、好きなことをしたい。そう思っていたら韮崎に辿り着きました。」
ーーーーーまずは杉本さんが韮崎に移住するまでの経緯を教えてください。
杉本さん:「僕は新卒で専門商社の海外営業部で働いていたんです。世界を股に掛ける仕事をするぞと意気込んで入社したんですけど、思っていた世界と違って、自分がしていることがよくわからなくなってしまって。自分は何が好きなんだろうって考えたときに、思い浮かんだのが自然の中で過ごすことでした。せっかく自分の人生の多くの時間を費やすのなら、心から納得できる仕事がしたいと思ったんです。そしてまず、沖縄に行きました。」
ーーーーー沖縄で何をして過ごしていたんですか?
杉本さん:「自然に関わる仕事をしようと思って、沖縄本島の恩納村というところで、スノーケルやカヤックのガイドを始めたんです。その後、知り合いにスイスのトレッキングガイドの仕事を紹介されて、スイスで日本人のお客さん向けのガイドをしていました。夏の間はガイド、それ以外の時期は日本に戻ってきて会社の営業をするという生活を4年ほどしていて、その後にニュージーランドでもガイドをしたりして、日本に戻ってきたのがちょうど3年前です。」
ーーーーー各地を渡り歩いていたんですね。その後どういう流れで韮崎に来ることになったのでしょうか?
杉本さん:「スイスで目にする山々がかっこよすぎて、山登りとクライミングを本格的に始めていたので、日本に帰ったら資格を取って、山の近くに住みたいと考えていました。そして現在北杜市に住んでいる花谷泰広さんが『若者達にヒマラヤに行くチャンスを与えたい』という想いで設立した“ヒマラヤキャンプ”という若手養成プロジェクトに2018年に参加した後に、花谷さんから『今後いろいろなツアーをやっていきたいから手伝ってもらえないか』と声をかけいただいて。それをきっかけに北杜周辺で住むところを探し始めました。」
ーーーーー韮崎以外の地域も選択肢にあったということですよね?
杉本さん:「そうですね、北杜や長野の方も考えていたんですけど、韮崎は定住促進住宅がたまたま空いていたんです。市からの家賃補助があることを大家さんが教えてくれたり、書類の提出のハードルが低かったこともあり、すんなりと韮崎に引っ越すことに決まりました。韮崎は富士山と八ヶ岳に挟まれていて、南アルプス、金峰山、瑞牆山、甲府や大月の低山など、どこの山にも行きやすくて、これはいいなと思いましたね。」
「韮崎は山と街のジャンクション」
ーーーーー実際に韮崎に暮らしてみてどうですか?
杉本さん:「韮崎はまちだから、とても生活しやすいですね。駅前にライフガーデンもあるしニコリもあるし、都会から来ても全く不便なことはないと思いました。それなのに自然は多くて山にも近いですし、特急列車も停まるので、ガイド仲間達も韮崎駅でお客さんをピックアップすることが多いんです。韮崎は“山と街が交差するジャンクション”みたいな場所だなと思います。」
ーーーーー山と街のジャンクション・・確かにそうかもしれません。こっちに暮らして生活に変化はありましたか?
杉本さん:「埼玉にいたときは山に登りにこっちまで来て、帰りに渋滞に巻き込まれると6.7時間コースになることもあったんです。車に乗っている時間の方が山に登ってる時間より長いくらいで。今はお客さんを見送ったあとは早々にフリーになれるので、撮った写真をまとめてお客さんに送ってあげたり、山のことを勉強したりと、時間を別のことに使えるのが本当に良いですね。」
ーーーーーガイドの仕事をするにはピッタリの環境なんですね。
杉本さん:「そうですね。韮崎はもっとガイドが増えてもいいと思います。周辺の市には結構いるんですけど、韮崎はまだ人数が少ないので。僕が感じたような韮崎の街と自然の近さを、山関係の人に知ってもらえば絶対に住みたくなると思うんです。」
韮崎は甲斐武田家発祥の地。土地の歴史をお客さんに伝えることも
杉本さん:「僕はお客さんを危険から守ることだけでなく、楽しませることもガイドの重要な役割だと思っています。歩いてるときに、草花や蝶々、動物の足跡の話をしたり、興味がありそうな方には、その土地の歴史についてお話することもあります。」
ーーーーー山登りの技術にもいろいろな知識が必要なんですね。
杉本さん:「山の話はその土地の歴史につながることも多くて、調べていても楽しくて。韮崎は甲斐武田家発祥の地でもあり、勝頼によって築城され最後には勝頼自ら火を放って燃やしてしまった新府城跡もありますよね。始まりと終わりの歴史があるのがとても興味深いです。」
ーーーーーそういうお話を聞けると、お客さんは楽しいでしょうね。
杉本さん:「知らなくても山に登ることはできますが、知るとさらに楽しくなりますよね。おかげさまでリピーターになってくれるお客さんが多いです。登山ガイドの仕事は、初対面の人と一対一または一対二で、3日〜5日間ほど山に籠ることも多いんです。そんなに長い時間を知り合ったばかりの人とお風呂にも入らずに共に過ごし、命も預かるというこの仕事は、かなり特殊な仕事ですよね。山が好きなだけではガイドにはなれなくて、やっぱり人を喜ばせたいという気持ちがとても大切です。」
杉本さんにとっての山の魅力とこれからの目標
ーーーーー杉本さんにとって、山の魅力とは何だと思いますか?
杉本さん:「そうですね。。人間って地球から生まれたじゃないですか。都会でコンピューターばかり触っている生活も悪いわけではないけれど、やっぱり山に入ると本能的にリフレッシュできると思うんです。高い山に登らなくたって、山に入って珈琲を飲んだり、少し歩くだけでも、精神的にも健康的にもバランスがとれると思います。やっぱりそれが、自分の生活を豊かにするということに繋がっていると思うんですよね。」
ーーーーー人間は本能的に自然を求めているのかもしれませんね。これからこうしていきたいという目標はありますか?
杉本さん:「今は登山ガイドの資格を持っているんですけど、これから山岳ガイドの資格も取りたいと思っています。ロープを使う険しい山に行けるようになるので、お客さんを案内できる山が増えるんです。そして将来的には、国際ガイドの資格を取りたいです。日本で国際ガイドの資格を持っている人はまだ少ないんですけど、マッターホルンやエベレストもガイドできる、本物の山のプロだけが持てる資格です。」
ーーーーー資格を取るためには何が必要なのでしょうか?
杉本さん:「勉強ももちろんなんですけど、とにかく山に入ることですね。ガイドとして山に入る以外に、自分でも山を極めていかないと、ガイドとしての分厚さみたいなものが出ないので。せっかくいつでも山に行ける素晴らしい環境に住んでいるので、どんどん山に行こうと思います。その様子を発信していって、山が身近にある暮らしに少しでも興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいです。」
取材を終えて
杉本さんのお話を聞いて、山の近くにはこういう仕事もあるんだなと、一つの新しい世界を覗いたような気持ちになりました。
韮崎の街から眺められる山々の大自然の中で、日々さまざまなドラマが繰り広げられているのだと思うと、普段「きれいだな」と何気なく眺めていた山々がよりリアルに感じられ、冒険への憧れのような気持ちが湧いてきました。また、身近に山があることは、都会の山好きの人たちからするとすごく贅沢なことなのだと実感しました。
「韮崎は“山と街が交差するジャンクション”みたいな場所」
山のために移住してきて実際に韮崎の街で暮らしている杉本さんがそう言うと、とても説得力があります。
韮崎の街にも登山者向けのゲストハウスchAhoができたり、アウトドア専門の古着屋BAMBOO COREができたりと、少しずつ街と山の距離が縮まってきているように感じられますが、まだまだこの環境の良さをうまく活かしきれていないような気もします。
山に行く人の「街にこれがあったらいいな」がもっと叶えられたり、反対に街の情報を山に行く人にもっと伝えていくことができれば、山と街の人の交流が深まり、韮崎はより魅力的な場所になっていくのかもしれません。
そんなことを考えるきっかけとなった取材でした。
登山ガイド・杉本龍郎さん
facebook:https://www.facebook.com/tatsuro.sugimoto
インスタグラム: @sugimototatsuro
(※HPは現在整備中。完成次第ここに貼り付けさせていただきます。)